豆行記事 桂小五郎②

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つづき。

17日
辰ノ刻に①出立す。山本喜介が出送り。
中ノ瀬より柿崎の山を越え②白浜に出る。
この間は悪路であった。
白浜海岸は波が荒く岩石が多い。
これより繩地に至るはツゲ坂という。
撿阻の山を越えて③河津村に出た。
ここは掛川藩領である。
天城山より流れる河津川があり、
これを渡って濱村に至る。
沼津藩領で石高は3000石という。
これより見高を越えて④稲取に至り昼食。
ここは近隣の大村で7~800軒もある。
これより峠に至る。展望が素晴らしい。
白浜までの海岸の形成が眼下にある。
伊豆狩野川桂川、五嶋が望めた。
大河を越え⑤赤澤に至る。
道端にブラン樹があって日本では稀という。
※ブラン樹はシロブナの事か?
この辺りは山桃が多い。
古より山桃のウンジョフ出という。
※意味がわかりませんでした。
これより10余丁辺りに河津三郎の墓あり。
※河津三郎は河津祐泰の事で、
 仇討ちで知られる曾我兄弟の父。

半里にして日暮となり⑥八幡野の至る。
松屋に宿泊。今日の露程は、
皆山道にして悪路であった。
行程11里、1里も50丁60丁なり。
※通常の1里は36町の筈ですが、
 何故か50~60町となっているようです。

 つまり通常11里は約44kmですが、
 1里が50町の計算ならば、
 1町=110mなので50町=5500m。
 1里は5.5kmとして11里は60.5kmで、
 60町なら11里は72.6kmとなります。



11/17の行程。

11月18日
卯ノ中刻に①出発。
茫々と山野や行くこと2里にして、
吉田村に出る。
これより1里行って②伊東村あり。
ここは千軒余りで石高3000石で、
豆州海岸では稀な広い土地である。
向将監の領なり。
※旗本向井将監家の事。
古くは伊東家の領であったという。
飫肥藩伊東家の旧領。
これより海岸を1里で③宇佐美村に出る。
家敷は100軒もあり石高は1000石という。
その大半は漁家である。
ここは川崎の目前に一つの峠があり、
その頂上より房州相州三崎
鎌倉大磯辺りの形勢が一目で見える。
東には小島があって初島という。
この南にまた小島があった。
※初島の南側には小島はありません。
降って和田木村に出る。
この東に④網代村がある。
海浜を行き5~6丁にして、
上多賀下多賀に出た。
この辺りは山道に門を構えており、
田畑に石垣を組んで猪を防ぐという。
また1つの峠があり、
登ること30余丁にして降る。
この辺りは真鶴の海岸が眼下に見える。
熱海の民家も一々見えて、
温泉の煙は人家が燃えるように見えた。
申の中刻に⑤熱海村に下りて、
富士本に至って宿を乞うが見つからず、
相模屋伊勢屋に行っても満室。
坂口屋伊兵衛方に宿泊する。
今夜は寒気が切れるが如しで、
酒1杯を飲んだ。


11/18の行程。

つづく。
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