新宮城は紀州藩の支城だった城で、
新宮藩立藩後には藩庁となっています。
城地は丹鶴山と呼ばれる小高い丘で、
源為義の娘丹鶴姫の住んだ東仙寺があり、
元々の新宮城は市内全龍寺の境内でした。
これは熊野地方を領した堀内氏善の居館で、
慶長5年(1600)に桑山一晴に攻められて落城。
戦後に紀州全域は浅野幸長の領地となり、
その重臣浅野忠吉が新宮に入封して、
※広島藩家老三原浅野家の初代。
城地を丹鶴山に移転させています。
一時一国一城令により廃城となりますが、
すぐに再築城が認められており、
元和5年(1619)に浅野家が広島に移った後は、
徳川頼宣が附家老水野重央を新宮に封じ、
重央によって築城が継続されました。
新宮城跡は丹鶴城公園となっています。
丹鶴城公園の駐車場に車を駐車し、
ここから登城を開始します。
駐車場より階段を上ると、
鐘ノ丸跡と本丸跡の間に到着。
まずは鐘ノ丸跡側から行ってみます。
「鐘ノ丸(二ノ丸)跡」。
山頂部で一番広い曲輪。
名称から察するに鐘櫓等が置かれ、
時を報せていたのではないでしょうか?
ちなみに二ノ丸の別称がありますが、
山麓部にも二ノ丸跡があります。
「松ノ丸(三ノ丸)跡」。
鐘ノ丸跡の北側にある松ノ丸跡。
実際の山頂部は松ノ丸から鐘ノ丸を経由し、
本丸に至るようになっています。
「松ノ丸桝形虎口」。
やや小ぶりながら山頂部の大手口で、
往時は櫓門があったと思われます。
本丸跡へ。
「本丸石垣」。
天守台は崩れて見る影はありませんが、
三層五階の望楼型天守が建っていたという。
脇の建物は櫓のようですがトイレです。
「水ノ手曲輪跡」。
熊野川を見下ろすと見える水ノ手曲輪跡。
船着場や倉庫が置かれていたようで、
熊野川流域の産物を集積したとのこと。
「本丸大手口跡」。
本丸入口も近世城郭らしく桝形虎口で、
立派な石垣が組まれています。
「本丸跡」。
本丸内はある程度の広さはあるものの、
天守以外は何も無かったようです。
「丹鶴姫之碑」。
本丸跡に建立されている丹鶴姫の碑。
丹鶴姫は河内源氏6代目棟梁源為義の娘で、
源頼朝や源義経らの叔母にあたります。
19代熊野別当となった行範の妻となり、
その死後に剃髪して鳥居禅尼と称し、
東仙寺で夫の菩提を弔いますが、
後に甥の頼朝から地頭職に任命され、
その子や親族等は将軍家の一族として、
熊野三山内外で影響力を持ちました。
このように権力ある女性だったからか、
何故か後世で子供を連れ去る妖怪となり、
「黒いウサギと一緒に住む丹鶴姫」として、
夕刻に「男児が扇で招かれる」、
「黒いウサギが男児の目の前を横切る」と、
その男児は翌朝に死んでしまうとされ、
日が暮れると皆急いで帰宅したという。
「出丸跡」。
本丸跡の北側には出丸跡があり、
熊野川に突き出るようになってます。
たぶん見張櫓が置かれて、
熊野川や対岸を監視していたと思われます。
駐車場まで戻り歩いて山麓まで行ってみます。
実際の政庁であった二ノ丸跡へ。
「登城口」。
麓から登城する場合の入口。
今回はここからは登城せず。
ここは大手口ではありませんが、
大手口は住宅となって無くなっています。
「正明保育園(二ノ丸(南曲輪)跡)」。
政庁のあった二ノ丸跡は保育園でしたが、
令和3年で閉園してしまったようです。
その建物は寺院のようですが、
これはその前身が天理教の教会だった為。
●日本百名城
【新宮藩】
藩庁:新宮城
藩主家:新宮水野家
分類:3万5000石、維新立藩
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