第二奇兵隊幹部立石孫一郎は、
同志約100名を率いて隊を脱走し、
慶応2年4月10日に倉敷代官所を襲撃。
同月13日には浅尾陣屋も襲撃しますが、
幕府の追討軍が派遣されると、
彼らは離散して長州藩領に逃亡しました。
多度津を経て… 続きを読む
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下関市吉田 東行庵/脱走隊士の墓
奇兵隊顕彰墓地にある脱走隊士の墓碑。
慶応2年4月17日。
倉敷浅尾騒動に加わろうと陣営を脱走し、
捕らえられて翌日切腹させられた隊士ら。
「波多野十吉墓(左)」、
「山本龍之進墓(左2)」、
「有田恒太郎墓(右)」。
※右から2番目は不明。
倉敷浅尾騒動は第二奇兵隊脱走隊士らが、
倉敷代官所… 続きを読む
山口県下松市 花岡宰判勘場跡/御茶屋跡
長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
行われています。
「花岡八幡宮御神幸祭礼図絵馬(部分)」。
花岡宰判は都濃郡の藩領を支配した宰判で、
都濃宰判とも呼ばれています。
上の絵馬のように勘場と御茶屋が併設され、
本陣の役割も果たしていました。
「花岡宰判勘場跡/御茶屋跡… 続きを読む
山口県光市 第二奇兵隊石城山本陣跡
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高杉晋作が奇兵隊を結成した事をきっかけに、
長州藩内で多くの諸隊が結成され、
周防東部でも「真武隊」が結成されました。
※はじめ秋良雄太郎らが大島で結成。
後に白井小助、世良修蔵らが再興。
当初は専光寺… 続きを読む
山口県大島郡 楢崎剛十郎顕彰碑ほか
維新百年公園の程近くに、
楢崎剛十郎顕彰碑があります。
楢崎は第二奇兵隊の参謀でした。
「第二奇兵隊参謀楢崎義綱君碑銘」。
楢崎は久賀村の出身で大野毛利家家臣。
幼児より才知に優れ、読書を好み、
奇兵隊が創設されるとこれに入隊し、
後に第二奇兵隊の書記… 続きを読む