奇兵隊顕彰墓地にある脱走隊士の墓碑。
慶応2年4月17日。
倉敷浅尾騒動に加わろうと陣営を脱走し、
捕らえられて翌日切腹させられた隊士ら。
「波多野十吉墓(左)」、
「山本龍之進墓(左2)」、
「有田恒太郎墓(右)」。
※右から2番目は不明。
倉敷浅尾騒動は第二奇兵隊脱走隊士らが、
倉敷代官所及び浅尾陣屋を襲った事件。
実は立石孫一郎率いる脱走隊士らは、
彼らが脱走した時点で既に瓦解していました。
仮に捕らえられずに倉敷へ向かっていたなら、
一体どうなっていたのでしょうね。
■関連記事■
・岡山県倉敷市 倉敷代官所陣屋跡
脱走隊士らが襲った幕府代官所跡。
・岡山県総社市 浅尾陣屋跡
脱走隊士らが襲った浅尾藩の陣屋跡。
・山口県光市 第二奇兵隊石城山本陣跡
第二奇兵隊の本陣跡。