下関市吉田 東行庵/奈良屋源兵衛の墓

奇兵隊顕彰墓地にある奈良屋源兵衛の墓碑。
白石正一郎に雇われて人夫をしていた者で、
奇兵隊の用人も務めていました。
教法寺事件の報を聞いて駆け付けた途中、
南部町先鋒隊と鉢合わせてしまい、
奇兵隊印の半被をしていた為に捕らえて、
拉致され冷水を頭からかけられという。
源兵衛は我首を断つべしと喚き散らした為、
先鋒隊も源兵衛を門外に放り投げて解放。
これを近くの商人が介抱したようです。
しかし夏とはいえ夜中に冷水をかけられ、
長時間置かれていた為に発熱し、
看病の甲斐もなく死亡しました。


長陽義民居士」。
奈良屋源兵衛の墓。
町人ながら居士号が付けられており、
戒名の長陽義民というのも良いですね。
この墓は功山寺に建てられていたもので、
昭和5年に改葬されましたが、
この墓石には不思議な逸話があります。
明治期に子孫の夢枕に源兵衛が立ち、
大歳神社下の海(埋立前だった)に、
 自分の墓が沈んでいる。
 安らかに眠ることが出来ないので、
 引き上げて然るべき祀って欲しい

と告げたという。
目覚めた子孫は言われた場所に潜り、
墓石を引き上げて功山寺に祀ったとのこと。
それがこの墓石のようです。

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