山口県光市 立石孫一郎の碑

第二奇兵隊幹部立石孫一郎は、
同志約100名を率いて隊を脱走し、
慶応2年4月10日に倉敷代官所を襲撃。
同月13日には浅尾陣屋も襲撃しますが、
幕府の追討軍が派遣されると、
彼らは離散して長州藩領に逃亡しました。
多度津を経て祝島へ移動した立石らは、
同月25日に浅江村に上陸し清鏡寺に潜伏。
同志の助命を模索していましたが、
騙されて誘い出された立石らは、
島田川に架かる千歳橋で殺害されています。


立石社」。
明治2年に中村太平という人物が、
殺害された立石孫一郎を哀れんで、
墓碑を建立していますが、
それまで墓石代わりとしていた粗末な石を、
御神体として祀ったのがこの立石社です。


立石霊神〇〇(右)」、
志士立石孫一郎君永眠之所(左)」。
中村太平が建立した墓石と、
昭和10年の70回忌に建てられた顕彰碑。
実際に立石が殺害された千歳橋は、
立石社の近くの千歳大橋より川上でした。
潜伏先の清鏡寺より誘い出された立石は、
同志の引頭兵吉と共に千歳橋を渡り、
待ち構えていた第二奇兵隊に狙撃されます。
立石は脇腹を銃で撃たれて倒れ、
駆け寄った襲撃者に惨殺されました。
引頭は川に飛び込んで難を逃れますが、
立石の死を知って拳銃で自決。
この騙し討ちを庶民は非難したようで、
  正義たてたる立石様を
    騙し打ちとは情けない
 と、
俗謡が歌われたとされています。

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