山口県大島郡 楢崎剛十郎顕彰碑ほか

維新百年公園の程近くに、
楢崎剛十郎顕彰碑があります。
楢崎は第二奇兵隊の参謀でした。


第二奇兵隊参謀楢崎義綱君碑銘」。
楢崎は久賀村の出身で大野毛利家家臣。
幼児より才知に優れ、読書を好み、
奇兵隊が創設されるとこれに入隊し、
後に第二奇兵隊の書記兼参謀となっています。
幹部の一人立石孫一郎が隊士らを扇動し、
脱走して暴動を起こすとこれを制止し、
暴徒らに斬り殺されました。
篆額は三浦梧楼、撰文は天野正世

久賀の市街より南側へ山を登り、
延命の滝」の近くに楢崎の誕生地があります。

長州藩第二奇兵隊参謀 楢崎剛十郎誕生地」。
奥の家がそうらしいのですが、
現在も人が住んでいるようです。
コロナ禍ですので迷惑掛からないように、
説明板のみ撮影して退散しました。

第二奇兵隊脱走事件はあまりにも無謀で、
暴挙としかいえませんが、この事件以外にも、
天誅組の変天狗党の変生野の変など、
幕末には多くの挙兵事件が起こっています。
立石に騙された
というスタンスで語られていますが、
では他の事件は吉村寅太郎らに、藤田小四郎に、
平野國臣に参加者は騙されていたのか?
ある意味で先導者という者は、
そういうものかもしれませんが、
先導者に賛同したのは自分達のはず。
楢崎は冷静にこれを暴挙であると判断しますが、
参加者達は楢崎を凶刃を持って断じました。
高杉晋作功山寺で挙兵した際、
制止しようとした福田侠平は殺されていません。
楢崎殺害は狂気の血祭りだったのです。
このような狂気の集団が挙兵しても、
悲惨な結果となることは必然だった事でしょう。

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