小方家墓所の近くには、
第二奇兵隊参謀楢崎剛十郎の碑があります。
※小方家とは小方謙九郎の妻艶子の妹が、
剛十郎の妻という縁があった。
「楢崎剛十郎源義綱君碑(右)」、
「山縣有朋歌碑(左)」。
陸軍中尉三好重臣の書による楢崎の碑と、
陸軍大将山縣有朋の歌碑。
楢崎剛十郎は大野毛利家家臣で、
奇兵隊に入隊した後に第二奇兵隊に転じ、
その参謀を務めていました。
しかし立石孫一郎が隊士を率い、
脱走を図った為にこれを阻止。
脱走隊士らに斬られて死亡しています。
三好重臣は振武隊総監三好軍太郎の事で、
山縣の和歌は楢崎を詠ったもの。
大華君を思いて
かたりあひてなつきし
ともいまはなし
なきものは数そふ
卋にこそありけれ
明治二十八年四月
陸軍大将 山縣有朋
碑の建立の経緯はよくわかりませんが、
小方謙九郎、三好重臣、山縣有朋と、
奇兵隊の戦友が関わっています。
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