上関大橋の室津側の袂近くの墓地に、
室津の廻船問屋小方家の墓所があります。
「小方家墓所」。
小方家は古くから室津で商いを行い、
財を成していた商人の家。
墓地には先祖を祀る小方家合奠塔、
幕末の当主小方市右衛門の墓、
與小方市右衛門木刀銘碑、
次代当主小方謙九郎夫婦の墓があります。
「小方市右衛門源惟温墓」。
廻船問屋小方市右衛門の墓。
大野毛利家の郷校弘道館に学び、
家業に勤しむ傍ら勤皇志士と親交し、
海防僧月性や吉田松陰、周布政之助等、
藩内の尊攘派を支援。
特に松陰とは親しい仲であったようで、
上関に立ち寄った際には、
必ず市右衛門を訪ねていたという。
安政元年には萩に赴いて松陰を訪ねており、
松陰は市右衛門が持っていた木刀に、
漢詩を書いて贈っています。
「與小方市右衛門木刀銘」碑。
松陰が木刀に書いた漢詩を刻んだ歌碑。
與小方市右衛門木刀銘
方翁矍鑠志雄気豪 家誇名族多蔵寶刀
顧帯木刀向我揮毫 曰時未至神物深韜
一旦機曾是乃虎嗥 虎嘷龍躍風吹二毛
戊午三月念四
二十一回猛士撰 大内青巒書
訳:小方市右衛門に與えた木刀の銘
方翁(市右衛門)は矍鑠(元気)で
志し雄大でその気は豪である
家は誇らしく名族で蔵には宝や刀も多い
木刀を帯びていた為に我は揮毫した
曰く時は未だ至らず神物は深く隠れるが
一旦機会があってこの虎が吠えれば、
虎が吠えて龍が躍り二毛の風が吹く
戊午三月二十四日
二十一回猛士撰 大内青巒書
安政5年3月24日頃の松陰は、
老中間部詮勝暗殺を計画していた頃、
それを踏まえて漢詩を読んでみると、
考え深いものとなります。
「小方謙九郎源弘徳墓(左)」、
「小方謙九郎室艶子墓(右)」。
市右衛門の次代小方謙九郎夫妻の墓。
小方家合奠塔の後ろに建てられています。
都農軍栗屋村の庄屋温品良左衛門の次男で、
後に小方市右衛門の養子となりました。
尊攘の志を抱いて奇兵隊に入隊し、
第二奇兵隊に転じてその書記兼斥候となり、
幕長戦争の大島口の戦い等で活躍。
維新後は室津で家業の廻船業等に勤しみ、
室津村の村会議員を務めており、
室津及び上関の発展に尽くています。
道の駅 上関海峡前にある四階楼は、
彼が明治12年に建てたもの。
「小方弘徳君碑」。
墓地参道に建てられた謙九郎の顕彰碑。
文は三浦悟楼で書は大内青巒によるもの。
大内は上記の木刀銘碑も併書しています。
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