常安寺は周南市大河内の曹洞宗寺院。
大河内領主粟屋家の開基とされますが、
詳しい縁起はわかりません。
「常安寺」。
山奥にありながら立派なお寺で、
綺麗で広い墓地から檀家も多い様子。
虎ヶ岳(標高141m)の登山口でもあり、
多くの人々が訪れるようです。
粟屋家墓所は本堂裏手。
「粟屋家墓所」。
寄組4915石大河内粟屋家は、
毛利家家臣粟屋元種を祖とし、
粟屋元貞、粟屋元重、粟屋就貞、
粟屋就尚、粟屋元忠、粟屋就応、
粟屋就道、粟屋房種、粟屋親睦、
粟屋親忠と続きました。
資料がなく個人特定が出来ませんが、
智徳院殿、雲興院殿、松岳院殿、
眞龍院殿、安常院殿等、
当主と思われる碑銘が読み取れます。
粟屋家は毛利家の譜代家臣で、
この寄組大河内粟屋家を筆頭に、
同じく寄組691石の青景粟屋家、
他に大組5家と40数家の庶流があり、
藩内でも非常に繁栄していたという。
2代粟屋元貞の墓と思われる宝篋印塔。
初代元種の嫡男粟屋元信は、
備中国下加茂で討死してしまった為、
元種の弟粟屋元利の次男元貞が、
養子となって家督を継いでいます。
毛利輝元の信任を得て活躍し、
豊臣秀吉から豊臣姓も与えられました。
関ヶ原後の毛利家減封の後は、
熊毛郡大河内村他1600石を与えられ、
以後の粟家家は大河内村周辺を領し、
禄高は4915石に至っています。
墓碑の特定が出来なかったのは残念。
特に幕末の当主粟屋親忠は、
大田絵堂の戦いで先鋒隊を率い、
奇兵隊ら諸隊と戦った粟屋帯刀で、
幕末長州史に重要に関わる人物です。
親忠は明治21年に死去していますが、
それらしき墓は見当たりませんでした。
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