大寧寺墓地の長州藩重臣の墓碑のうち、
目立つものが先に紹介した寄組山内家と、
寄組児玉家のものでしょう。
※旧漢字の兒玉が正しいようですが、
墓地表記に従い児玉と記載します。
ただ山内家は一系譜なのに対して、
児玉家は寄組に三家も存在したようで、
人物の特定は非常に困難です。
安芸児玉氏は武蔵七党の兒玉党を祖先とし、
鎌倉時代後期に一族が地頭職に任じられて、
安芸国内に移住して栄えた氏族。
安芸毛利氏の祖毛利時親の時代より、
毛利家に仕えた譜代家臣であり、
江戸時代には寄組に三家、
大組にも多数の支流がありました。
寄組児玉家は嫡流の四郎兵衛家、
児玉就忠の系譜である三郎右衛門家、
家祖児玉惟行三男の外記家の三家ですが、
大寧寺墓地の兒玉家の墓は三郎右衛門家と、
外記家のもののようです。
※不明なものを除く。
※※多くの碑銘が風化で殆どが読めない為、
碑銘ではなく被葬者名で記載します。
右から、
「児玉三郎右衛門元誠」、
「児玉三郎右衛門元誠」「俗名不明」、
「児玉親忠室」
「児玉三郎右衛門就行 同室」。
18代児玉元誠、19代児玉広行、
俗名不明を挟んて23代児玉親忠の室、
22代児玉就行とその室の墓。
児玉三郎右衛門家の墓碑群。
石段中間上辺りの左側にあります。
「児玉三郎右衛門広遠 同室」。
三郎右衛門家21代児玉広遠とその室の墓。
「児玉淡路守元恒(右)」、
「児玉元恒室(左)」。
寄組児玉家20代児玉元恒とその室の墓。
益田家の墓碑群の近くにあります。
こちらは寄組兒玉外記家。
「児玉勘解由就高 同室」。
23代児玉就高とその室の墓。
こちらも寄組兒玉外記家。
「児玉豊前広恒 同室(左)」、
「児玉帯刀恒英」。
24代児玉広恒とその室、児玉恒英の墓。
同じく頼組兒玉外記家。
石段の上部右側にあります。
広恒は享保11年の唐船打払に出動し、
指揮系統の不手際で逼塞させられています。
恒英という人物についての詳細は不明。
おそらく継嗣のまま死去した人物でしょう。
児玉家の幕末については、
まだ調べられていませんが、
近いうちに追記できるようにします。
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