ちょっと前に思いつきで書いた
「七本槍の幕末について調べてみる」(記事はこちら)。
考えたら長州藩重臣の先祖の多くも、
戦国時代に活躍してるわけで(あたりまえですけど)、
まあちょっと簡単に重臣の先祖をまとめてみました。
「毛利元就御座備図」を元にまとめてみましょう。
①毛利元就
もちろんの事で嫡流は長州藩主です。
②毛利隆元
元就の隠居後、家督を継ぐのですが急死してしまい、
嫡男の毛利輝元が家督を継ぎます。
③宍戸隆家
元就の娘を妻として迎え一門衆となる。
その後、一門家老家筆頭として幕末に至ります。
高杉晋作が宍戸家の養子宍戸刑馬と偽って、
四カ国連合艦隊と談判したのは、
宍戸家が筆頭家老であったため。
幕末の当主である宍戸親基は、
幕長戦争で芸州口の指揮官となっています。
④吉川元春
安芸の名門吉川家の養子となった元就の次男。
毛利の血が入った事で、事実上毛利家が吉川家を乗っ取ります。
元春の次男吉川広家が、関が原で東軍に加担した為、
徳川家からは大名として、
毛利家からは家臣として扱われるという微妙な立場となった。
毛利家との確執は幕末まで継続するが、
幕長戦争に至る経緯で関係は回復されています。
⑤小早川隆景
安芸の有力な領主小早川家の養子となった元就の三男。
毛利両川として毛利宗家を補佐しますが、
豊臣政権化で独立大名とされ、五大老の一角となります。
小早川秀秋の時代、関が原で西軍として出陣し、
裏切って東軍に付きます。これにより西軍は壊滅。
その功で岡山55万石に加増されましたが、
無嗣断絶により改易されました。
隆景の養子で豊臣時代に別家を創設した小早川秀包は、
久留米13万石の大名でしたが関が原の戦い後に改易。
嫡男の小早川元鎮は小早川の姓を捨てて毛利姓に戻し、
吉備毛利家の祖となっています。
吉敷毛利家の14代の毛利親直は、廃嫡して上野五郎と改名。
西南戦争に幕僚参謀として従軍し、熊本で戦死しました。
⑥福原貞俊
吉川元春、小早川隆景、口羽通良と共に毛利家首脳部を構成。
以後、毛利家の準一門として幕末に至ります。
25代当主福原元僴は、禁門の変の責で自刃した三家老。
⑦桂元澄
生涯を通して元就の忠臣であった桂元澄。
長州藩で2500石寄組として栄え、
その他庶流は寄組1家、大組14家と繁栄します。
桂小五郎や桂太郎もその系譜。
⑧児玉就忠
行政手腕に長けていた児玉就忠の系譜は、
寄組3000石として幕末まで続きます。
庶流も毛利宗家や支藩に仕えました。
日露戦争の英雄児玉源太郎は、徳山藩に仕える児玉庶流。
後に伯爵家となりました。
⑨口羽道良
能臣として元就の信任を得た口羽道良の系譜は、
長州藩の寄組などに庶流が栄え、幕末に至る。
幕末には吉田松陰と親交があった口羽徳助や、
慶応2年に創設された南十四大隊の司令口羽通博がいます。
⑩志道広良
口羽通良の弟で元就の軍師的な役割を担った志道広良。
子孫は寄組三家、大組九家と栄えた。
幕末の嫡流次男は、粟屋本家に嫡養子に入った粟屋帯刀。
また、井上聞多は一時期大組志道家の養嗣子となっています。
⑪熊谷直信
数々の戦で活躍し、毛利家に尽くした熊谷直信でしたが、
孫の熊谷元直がキリシタンとなり、
毛利輝元が棄教を命じても拒絶した為、
輝元の反感を買っていました。
その為、他の家臣との衝突事件を口実に輝元に討たれ、
熊谷家は断絶しますが、元直の孫熊谷元貞の大坂の陣の功で、
再興を許されて寄組となっています。
幕末の当主熊谷直行は浦靱負の弟でしたが、19歳で早逝しています。
次々代の熊谷親直は俗論派として藩政に関与しますが、
長州内訌戦後に失脚します。
⑫渡辺通
尼子勢に追い詰められた元就の危機を、
他の6人と共に身を呈して救い、奮戦して戦死した渡辺通。
元就はその忠義に感謝し、渡辺家を代々見捨てないと誓う。
その方針が代々受け継がれ、長州藩の正月の甲冑開きの儀式では、
渡辺家の者が先頭の栄誉に与かることになりました。
甲子殉難十一烈士の一人である渡辺内蔵太はその系譜。
御座備図の他にも「毛利十八将」として、
天野隆重、吉見正頼、赤川元保、粟屋元秀、
国司元相、粟屋元親、飯田元親、井上元兼がいます。
⑬天野隆重
尼子との戦いで活躍した天野隆重。
子の代に熊谷直信と共に殺され、家名は断絶。
幕末まで続いた天野家は隆重の弟天野隆良の別家です。
⑭吉見正頼
孫の代に毛利に反抗して断絶。
その後、吉川広家の次男が吉見家を継ぐことになりますが、
後に毛利を名乗って大野毛利家となっています。
⑮赤川元保
五奉行の一人として元就に仕えますが、
隆元の急死が元保の謀略であると疑った元就に自刃させられます。
その後、疑いが晴れ、赤川家は再興。
幕末の子孫については、まだ調べれていません。
⑯粟屋元秀⑰粟屋元親
祖父元秀より元就に仕えた粟屋家は、
元親の代には五奉行として活躍しています。
幕末の粟屋家当主粟屋帯刀は、
長州内訌戦で萩政府軍を率いています。
⑰国司元相
五奉行の一人として元就に仕えた国司元相。
100歳まで生きたそうです。
国司家は寄組として家老を多く排出しており、
幕末の当主国司親相は、禁門の変の責で自刃した三家老の一人。
⑱飯田元親
飯田元親の系譜はちょっとわかりません。
飯田家は寄組として残っていますが、
飯田家は元親の他に、飯田義武の飯田家という別家があり、
どちらの系譜か調べられていません。
⑲井上元兼
一族と共に元就を支持して、家中で重きを成した井上元兼。
その影響力や権威の強さが次第に大きくなった為に、
粛清されてしまいます。
とはいえ忠誠心から命を助けられた一族も残っており、
大組等で毛利家に仕えています。
井上聞多は、粛清を免れた一族の井上就在の末裔。
まあ簡単に調べただけですが、意外とみんな続いていますね。
今回は血ではなく家で調べたので、よほどじゃないと断絶はしないでしょう。
機会があれば、別の藩もまとめてみたいと思います。
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