山口県萩市 東光寺(長州藩毛利家墓所)【再訪】

久しぶりに東光寺を訪問(前回訪問はこちら)。
東光寺は大照院と同じく毛利家の歴代墓所で、
奇数代の藩主5人の墓があります。
3代藩主毛利吉就が建立した黄檗宗の寺院で、
仙台藩伊達家の菩提寺大年寺
鳥取藩池田家の菩提寺興禅寺と共に、
黄檗宗の三大叢林のひとつとのこと。


総門」。
三間二戸八脚門、一重切妻造段違本瓦葺き。
ベンガラが塗られた赤い門です。
元禄6年の建立で国指定の重要文化財


山門」。
二階二重門、入母屋造本瓦葺き。
10代藩主毛利斉熙の寄進で建てられたもので、
文化9年の建立。こちらも国指定重要文化財。


大雄宝殿」。
黄檗宗では本堂の事を大雄宝殿という。
本尊は釈迦如来脇士迦葉尊者阿難尊者
3代吉就の正室であった長寿院の寄進とのこと。
国指定重要文化財。

大雄宝殿の裏側より毛利家の墓所へ。
その手前に元治甲子殉難烈士の墓所があります。
今回は毛利家墓所が目的なので人物紹介は割愛。

四大夫(家老)および周布政之助の墓。
手前より、周布政之助、清水清太郎国司信濃
福原越後益田右衛門介


四参謀の墓。
手前より、毛利登人大和國之助
宍戸左馬之助前田孫右衛門


七政務員の墓。
手前より、渡邊内蔵太山田亦介
竹内正兵衛楢崎彌八郎中村九郎
佐久間佐兵衛松島剛蔵


明木権現原三士の墓。
手前より、櫻井三十三香川半助冷泉五郎

四家老の招魂墓の裏手には、
台湾で殺された楫取道明の墓も。

六氏先生之碑(右)」、
楫取道明遺骨碑(中央)」、
故正五位楫取道明遺骨墓(左)」。
六氏先生は台湾の小学校芝山巌学堂の教師達で、
治安が悪化する中でも教育に尽くし、
抗日の匪賊に惨殺された6人の教師です。
この中のひとり楫取道明は楫取素彦の次子で、
久坂玄瑞の養子になっていた久坂粂次郎のこと。
遺骨が台湾から故郷の萩に戻され、
ここに埋葬されたようです。

さて、いよいよ毛利家墓所へ。

毛利家墓所」。
大照院と同じように一列に並び、
無数の石灯籠が並べられた墓所。
ここには奇数代の5人の藩主の墓があります。


壽徳院殿前二州太守四品拾遺補闕大光元栄大居士 神儀(右)」、
長壽院殿慈雲元輝無相老尼公禅師 香住(右)」。
3代藩主毛利吉就と正室亀姫の墓。
2代毛利綱広の長男として生まれ、
父綱広の隠居によって家督を相続。
領内検地治水事業などを積極的に行い、
黄檗宗に帰依して東光寺を建立しています。


泰桓院殿前二州太守四品拾遺補闕仰岳浄高大居士 神儀(右)」、
法林院殿壽淨榮大姉 淑儀(左)」。
5代藩主毛利吉元と正室品姫の墓。
長府藩3代藩主毛利綱元の長男でしたが、
宗家4代毛利吉広が早逝した為に家督を相続。
藩校明倫館を開設しており、
財政再建の為に経費節減に努めています。


英雲院殿前二州太守四品吏部大郷羽林次将祐山如靖大居士 神儀(右)」、
瑞泰院殿豊安壽大禪尼 淑儀(左)」。
7代藩主毛利重就と正室登代姫の墓。
長府藩8代藩主となっていましたが、
宗家6代毛利宗広が早逝した為に家督を相続。
領内の再検地を行い4万石の収入を算出し、
この収入で撫育方を設立して別会計とします。
新田開発港の整備を行った他、
に加えてなどの製造に力を入れて、
防長三白政策を行いました。


靖恭院殿前二州太守大官令四品拾遺補闕澹雲如祥大居士 神儀(右)」、
貞操院殿松林如榮大姉 淑儀(左)」。
9代藩主毛利斉房と正室幸姫の墓。
8代毛利治親の長男としてうまれ、
父治親の死去に伴い10歳で家督を相続。
10ヵ年の倹約政策などを行っていますが、
28歳で病死しています。


邦憲院殿故大中大夫大官令羽林次将長防國主慈峰真秀大居士 神儀(右)」、
蓮容院殿美艶清寶大禪尼 淑儀(左)」
11代藩主毛利斉元と正室由美姫の墓。
7代重就の六男毛利親著の長男として生まれ、
※親著は生涯部屋住みのまま死去。
永代家老福原家の養子となっていましたが、
10代毛利斉熙の実子毛利斉広が幼かった為、
斉熙の養子となって家督を相続します。
治世では申歳の大水と呼ばれる大洪水が発生。
城下の3分の2が浸水する被害となりました。

幕末の藩主毛利敬親は13代ですので、
本来ならばこちらに埋葬される筈でしたが、
山口市の香山墓地に埋葬されています。

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