高野山奥の院墓地/宇和島藩藩伊達家墓所

奥の院墓地にある宇和島藩藩伊達家の墓所。
仙台藩伊達家墓所①の斜め後ろ側にあります。


宇和島藩伊達家墓所」。
宇和島藩の初代藩主である伊達秀宗は、
仙台藩初代藩主伊達政宗の長男でしたが、
母が側室の新造の方だった事や、
豊臣家との繋がりが深かった事等から、
家督相続候補から除外されました。
これを不憫に思った政宗は別家を興させ、
その立藩には仙台藩が多額の資金を援助。
家臣の多くも仙台藩から派遣されています。


宇和島藩伊達家墓所」。
各墓碑の碑銘は読めず未確認ですが、
たぶん大きな五輪塔が藩主のものでしょう。
調べたところによると以下の藩主の墓碑という。
初代藩主伊達秀宗(等覚寺殿)、
2代藩主伊達宗利(天梁院殿)、
3代藩主伊達宗贇(大玄院殿)、
4代藩主伊達村年(泰雲院殿)。
初代秀宗は意見の合わない家臣を殺害し、
政宗にこれを報告しませんでした。
この事を後で聞いた政宗は激怒し、
宇和島藩の改易幕府に求めますが、
慌てた秀宗は政宗に謝罪すると共に、
長年の不満を打ち明けます。
これを聞いた政宗は秀宗の気持ちを理解し、
以後は良好な親子関係を築きました。
2代宗利は初代秀宗の三男でしたが、
兄らの早逝により父の隠居後に家督を相続。
検地役人の諸制度を確立させ、
紙の専売も実施して藩政の基礎を固め、
城の改修や御殿造営も行っています。
3代宗贇は仙台藩3代伊達綱宗の三男で、
家老石川宗弘の養子となっていましたが、
後に2代宗利の婿養子となりました。
宗利の隠居に伴い家督を相続すると、
石高を過大申告して財政を圧迫させ、
家臣団の大減封を行っています。
4代村年は3代宗贇の三男として生まれ、
父の死去に伴い家督を相続しますが、
治世では災害が相次ぎ藩の財政は窮乏。
この為に藩政改革を推進しましたが、
その途上の参勤交代途中に急死しました。

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