①/②
つづき。
「大乗院殿前城門朗
即心圓通大居士墓(右)」、
「華巌院殿梅玉妙聯大姉墓(左)」。
7代領主吉川経倫と正室多芽姫の墓。
徳山藩5代毛利広豊の九男に生まれ、
6代吉川経永の養嫡子となり、
養父の死去に伴い家督を相続しました。
28年の治世では災害等で財政は困窮。
隠居所昌明館を建設して隠居し、
11年後に死去しました。
「紹徳院殿孝運祖澤大居士墓(左)」、
「喬松院殿妙境日佛大比丘尼(右)」。
8代領主吉川経忠と正室悌姫の墓。
7代経倫の長男として生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続。
文武を奨励すると共に、
財政再建を図っていますが、
11年の治世で死去しています。
「文恭院殿徳嵒道馨大居士墓」。
9代領主吉川経賢の墓。
8代経忠の長男として生まれ、
父の死去に伴い家督を相続しましたが、
僅か4年で早粋しました。
「謙光院殿慈雲藤蔭大居士墓」。
10代領主吉川経礼の墓。
8代経忠の次男として生まれ、
兄の9代領主の経賢が早世した為、
代わって家督を相続しました。
干拓や築港を盛んに行い財政再建に成功。
30年の治世の後に死去しました。
「亮功院殿英山道雄大居士墓」。
11代領主吉川経章の墓。
8代経忠の三男として生まれ、
兄の10代経礼の死去に伴い、
43歳で家督を相続しました。
10年の治世の後に死去。
再び山手へ。
「巌國候吉川有恪公之墓(左)」、
「贈従三位吉川経幹卿夫人木下氏墓(右)」。
12代領主(初代藩主)吉川経幹と夫人の墓。
11代経章の長男として生まれ、
その死去に伴い家督を相続。
疎遠となっていた宗家との関係改善に努め、
主に長州藩と幕府のパイプ役となりました。
幕長戦争では吉川家は芸州戦争に参戦。
戦でも長州藩の勝利に貢献しています。
慶応3年3月に病死していますが、
その死は秘匿されており、
維新後に岩国領が城主格の諸侯と認められ、
死後に初代岩国藩主となりました。
どうやら6代領主吉川経永と、
2代藩主吉川経健の墓も、
山手のどこかにあるようですが、
よくわかりません。
四支藩の藩主家墓所を制覇しましたが、
※他の支藩→長府藩、徳山藩、清末藩。
最後に訪問した岩国吉川家の墓所は、
城壁風の壁に囲まれた墓所。
経永と経建の墓を探す為に、
もう一度訪問する事になると思います。
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■関連記事■
・岩国市 岩国城跡
岩国領吉川家の居城。
・岩国市 岩国護国神社
岩国藩の戦死者を招魂する招魂社。
・山口県岩国市 芸州戦争関連史跡
岩国と広島の藩境で芸州戦争が開始。