山口県岩国市 洞泉寺/岩国藩吉川家墓所③

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吉川家墓所
前回発見出来ずだった6代領主及び、
2代藩主(13代領主)の墓を追補する為、
岩国市の吉川家墓所へ再訪しました。

歴代墓所は[寺谷口御塔場]と呼ばれる場所で、
現在は吉川家墓所と称されていますが、
6代領主吉川経永のみ実相院跡に葬られます。
その経緯はよくわかりませんが、
宗派の違いからなのかもしれません。
※歴代菩提寺洞春寺曹洞宗で、
 実相院は浄土宗だった。

とにかく6代経永の墓所は単独でしたが、
後に13代領主(2代藩主)吉川経健の墓を、
経永の墓の側に造営。
吉川家の墓所は山手の初代墓域、12代墓域、
山麓の2~5代と7~11代の墓域、
そして6代と13代の墓域に分かれています。

吉川家墓所の配置。
今回は6代と13代の墓所を訪問。


6代及び13代の墓域。
第1と第2の吉香公園臨時駐車場の間に、
山手へ登る道がありますので、
そこからが最短のルートになります。


遍照院殿前左京兆直誉蓮光華岩大禅定門」。
岩国領6代領主吉川経永の墓。
5代吉川広逵の長男として生まれますが、
父は経永が数え2歳の時に死去してしまい、
幼少ながら家督を相続しています。
この為に行政は国家老吉川長程らが掌握し、
彼らによる横領収賄が横行。
更に旱魃災害による減収も重なり、
領内は著しく混乱していたという。
長く藩政を牛耳った長程の死後も、
領内で災害が多発して財政は困窮。
以後の代までこれが続くこととなりました。
明和元年(1764)に49歳で死去していますが、
戒名から僧籍だったのかもしれません。
墓石は新しいもののようですが、
昭和20年に山崩れが発生したようなので、
新たに造り替えられたのでしょう。


従二位勲三等子爵吉川經健卿之墓(左)」、
子爵吉川經健室賢淑夫人直子之墓(右)」。
13代領主(2代藩主)吉川経健の墓と、
経健の継室直子の墓。
12代領主(初代藩主)吉川経幹の長男に生まれ、
慶応3年に父が死去してしまいますが、
長州藩主毛利敬親の命でその死は隠蔽。
明治元年12月28日に正式に家督相続しました。
廃藩置県後は東京へ移りますが、
以後は旧藩士らの自立を助ける事に務め、
明治42年に55歳で死去しています。
彼は3度も正室継室離縁していますが、
何か理由があるのでしょうか??


従三位吉川元光之墓」。
岩国吉川家14代当主吉川元光の墓。
一族の吉川重吉の子だったようで、
継嗣のいない経健の養子となっています。

今回で吉川家歴代当主を網羅。
ついで天気が良かったので、
前回の写真も更新しました。

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