毛利元就公歯廟の道向かいには、
毛利元政宝篋印塔、宍戸家墓所、
宍戸家家老末兼家墓所への道があります。
各墓所へ続く林道。
西側に60m程度行くと、
宍戸家の墓所があります。
この辺りに仙竜寺という寺院があったようで、
各墓所はその墓地にあったようですが、
廃寺となっておりその由緒は不明。
とにかく各墓所だけが残されています。
「宍戸家墓所」。
墓所には説明板が設置されており、
初代~3代の墓所となっていますが、
※宍戸家14代宍戸元続を初代としてます。
墓所には初代元続の墓はありません。
※元続は旧領佐波郡牟礼の阿弥陀寺が墓所。
「盛山宗隆大居士」。
2代(15代)当主宍戸広匡の墓。
初代(14代)元続の嫡男として生まれ、
父の隠居に伴い家督相続しました。
当主在任時はまだ右田領主でしたが、
隠居後に知行地替えが行われて、
三丘にて隠居暮らしをしています。
「空澤宗真大居士」。
3代(16代)当主宍戸就尚の墓。
2代(15代)広匡の長男として生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続。
寛永2年(1625)の知行替えにより、
佐波郡右田から熊毛郡三丘に移封しました。
16年の当主在任の後に34歳で死去。
「〇徳院殿土州前司外翁宗給大居士 覺霊(右)」、
「〇鏡院殿妙正日清大姉 淑霊(左)」。
4代(17代)当主宍戸就附とその室の墓。
長州藩士熊谷元実の三男として生まれ、
3代就尚が早逝した為に5歳で家督を相続。
後に就尚の娘を正室に向かえました。
成人後は筆頭家老として藩に尽くしますが、
継嗣なく42歳で死去しています。
以後の当主の墓所は貞昌寺。
「末兼家墓所」。
宍戸家墓所より一段低い位置の末兼家墓所。
末兼家は宍戸家で家老(加判役)を務め、
その知行は200石であったという。
元々は宍戸家の一族であったようですが、
戦国時代に安芸国の末兼郷を領した為、
末兼と改姓しています。
墓は自然石で統一されており、
二列に整然と並んでいました。
■関連記事■
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18~23代当主の墓所。
・山口県周南市 宍戸家郷校徳修館
宍戸家の開設した郷校。
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24代当主の墓所。
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11代当主の墓所。
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・山口県防府市 阿弥陀寺/宍戸元続墓所
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