宍戸隆家は安芸宍戸家13代当主で、
毛利元就の娘五龍局を娶り、
毛利家一門となった人物でした。
「宍戸隆家墓所」。
隆家の菩提寺天叟寺の跡で、
墓所への道は案内板も設置されていますが、
矢印通りに行くと柵で行けません。
回り道しないと辿り着けませんが、
とはいえそれ程ややこしくはないので、
少し歩けば辿り着けると思います。
「天叟院覺隆大居士」。
安芸宍戸家13代当主宍戸隆家の墓。
12代宍戸元源の嫡男宍戸元家が、
家督相続前に死去してしまった為、
隆家は嫡孫として元源に育てられます。
宍戸家は長年毛利家を争ってましたが、
元源は毛利元就と和睦して、
元就の次女五龍局を隆家に娶らせ、
以後は協力関係を結んでおり、
後に一門として従属する事となりました。
吉田郡山城の戦い、佐東銀山城の戦い、
月山富田城の戦い、槌山城の戦い、
高杉城の戦い等で活躍しており、
山内隆通の毛利家帰順にも貢献。
厳島の戦いには従軍しなかったものの、
防長経略や山陰攻略には参戦しており、
以後は毛利家で確固たる地位を確立し、
後の一門筆頭宍戸家の礎を築きました。
「椿窓壽久禪定尼」。
隆家継室の墓。
名は不明ですが石見繁継の姉で、
五龍局なき後に継室となった女性。
毛利家との絆を深めた五龍局は、
隆家との間に一男三女を儲けており、
嫡男宍戸元秀は家督相続前に死去しますが、
その子宍戸元続が家督を相続しました。
また長女は伊予の河野通宣に嫁ぎ、
次女は吉川元長に嫁ぎ、
三女は毛利輝元に嫁ぎましたが、
当の本人の墓は不明なようです。
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