安芸高田市はかつての毛利家本領。
毛利家家臣団の先祖の墓所が多くあり、
今回はそれらを巡ってみようと思います。
長州藩筆頭家老安芸宍戸家は、
鎌倉殿の13人のひとり八田知家の四男で、
所領から宍戸姓を名乗った宍戸家政から、
家周、家宗、家時、知時、朝家、基家、
家秀、持時、興家と続き、
南北朝初期に11代宍戸元家が安芸に移住。
足利尊氏に従って安芸守に任せられ、
五龍城を根拠地とし勢力を伸ばしました。
やがて毛利家に協力関係を築き、
後に従属関係となって一門衆となり、
毛利両川に次ぐ待遇で遇されています。
関ヶ原の戦い後の毛利家防長移封でも、
これに同行して周防三丘を拝領。
江戸時代を通じて筆頭家老を務め、
幕末維新期には国事にも貢献しました。
その安芸宍戸家の中興の祖宍戸元家の墓が、
甲田町深瀬の水田にあります。
田んぼの中にぽつんとある元家の墓所。
イノシシ(?)除けの柵が張り巡らされており、
これ以上は近付けません。
「宍戸元家墓」。
安芸宍戸家11代当主宍戸元家の墓。
朝家は常陸宍戸氏の出身で、
諸国を武者修行中に五龍城に至ると、
当時の当主10代興家が暗君で、
家臣が不満に思っている状態でした。
元家を見た家臣らは名君の資質を見抜き、
興家に家督を譲るように強要。
元家は家督を譲られ11代当主となります。
但しこの話は疑問視されており、
元家が家督を簒奪する正当性を示す為、
常陸宍戸氏の出身とした説もあります。
とにかく元家は11代当主となっており、
実際に勢力を広げてた中興の祖でした。
資料が存在せず色々謎の多い人物で、
墓が何故ここにあるのかも謎です。
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