理窓院は甲田町にある真言宗寺院。
宍戸元源が建立した宍戸家の菩提寺で、
元源の墓所となっています。
「本堂」。
理窓院は安芸高田市唯一の真言宗寺院。
元々は禅宗であったとされており、
寛永4年(1627)に真言宗に改宗したという。
本堂は国指定重要文化財。
山門は粟屋村大毘羅の寺から移築したもので、
室町時代の建立と推定されています。
「宍戸元源墓所」。
境内にある宍戸元源の墓所。
安芸高田市のHPの画像では、
白壁はボロボロになっていましたが、
綺麗に修復されていました。
「宍戸元源墓」。
安芸宍戸家12代当主宍戸元源の墓。
元源は11代当主宍戸元家の嫡男に生まれ、
父元家の隠居に伴い家督を相続します。
大内義興に従い船岡山合戦に参戦。
その後は近隣の毛利家と抗争しますが、
後に毛利元就と和睦しており、
嫡孫宍戸隆家の妻に元就の娘を迎えました。
嫡男宍戸元家を亡くした為、
元家の子隆家に家督を譲って隠居。
中央とのパイプも太かった事から、
毛利家の外交にも貢献しています。
本堂裏にある元源の次男宍戸隆忠の墓へ。
「宍戸隆忠公夫妻之墓」。
元源次男宍戸(末兼)隆忠の夫妻の墓。
双方共に自然石の墓石です。
隆忠は大内義隆に偏諱を受けており、
後に末兼郷を領して末兼姓を名乗りました。
農政に優れた人物だったとされており、
領内でたたら製鉄を盛んに行わせる等、
領内の統治に尽くしたという。
しかし諫言により甥で当主の隆家が、
隆忠を殺害してしまいます。
無実の罪で殺害された隆忠は、
隆家を祟って眼病を患わせたとされ、
隆忠を祀って謝罪したことで、
その眼病が治癒したと伝わっています。
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