阿弥陀寺は東大寺周防別所として創建され、
※現在は東大寺別院。
住職は周防国司に任じられたとされます。
開基は東大寺を復興させた重源とされ、
重源は東大寺再建の用材を周防など調達し、
巨大な木材を奈良まで運んだという。
境内にはこれら事業に従事した人夫達の為、
重源が設けたとされる石風呂が再現され、
現在も入浴できるようです。
「阿弥陀寺」。
訪問時は桜が散りかけでおり、
桜の花びらが境内を舞っていました。
本来は紫陽花で有名なお寺のようで、
約4000株の紫陽花が境内を彩るという。
阿弥陀寺は室町末期に焼失していますが、
大内政弘によって再建されて隆盛し、
後の領主宍戸家や右田毛利家の庇護も受け、
多くの塔頭を有していたようです。
「仁王門」。
右田毛利家4代毛利就信が再建したもの。
威厳を感じさせる茅葺きの仁王門で、
左右に金剛力士像が安置されています。
「石風呂」。
再現された日本最古のサウナである石風呂。
仁王門を過ぎて右手側を行くとあります。
毎月第1日曜日に入浴できるという。
桜の舞い散る参道を進んで本堂へ。
「本堂」。
本堂は右田毛利家5代毛利広政の再建。
本尊は阿弥陀如来立像とのこと。
阿弥陀寺には宍戸元続の墓所があります。
境内にあった地図を頼りに行ってみると、
広場があってその隅に標識が・・
何もないけれど??
で、どうもこの下の崖を降りるようです。
ほぼ道が無い崖を滑り降りるとありました。
「宍戸元続の墓」。
宍戸家14代(初代)宍戸元続の墓。
13代宍戸隆家の嫡男宍戸元秀の長男で、
父が病弱だった為に嫡孫として家督を継ぎ、
慶長の役で先鋒を務めて功を挙げました。
関ヶ原の戦いでは安濃津城の戦いで奮戦し、
分部光嘉と一騎討ちを行っています。
毛利家減封後は佐波郡右田を与えられ、
大坂の陣では毛利家は徳川方でしたが、
密命で弟内藤元盛に軍資金と兵糧を持たせ、
大坂城に送り込んだとされています。
元盛は落城後に捕縛されて死罪となり、
これを悲しんだ元続は隠居。
宍戸家は孫の宍戸就尚の代に三丘に転封し、
元続はその後に死去していますが、
遺骸はこの地に葬られました。
本来下からの道があったようですが、
現在は草木で覆われて道が失われています。
その為に崖からしか行けませんので、
行かれる際は注意が必要。
滑りにくい靴で晴れた日が良いでしょう。
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