徳性寺は右田にある浄土宗の寺院で、
天文5年(1536)に西雲寺として創建。
その後は廃れていましたが、
寛永2年(1625)に毛利元倶が右田に入封し、
翌年に正室松崎の方が死去してしまった為、
その菩提寺として再建されたようで、
寺号も徳性寺と改められました。
「本堂」。
本尊は阿弥陀如来像で平安後期のもので、
恵心僧都の作とされています。
元倶は父毛利元政の菩提寺天徳寺を建立。
後の歴代当主も天徳寺を墓所としますが、
正室松崎の方の死後は浄土宗に帰依し、
遺骸はこの徳性寺に埋葬されました。
「右田毛利家墓所」。
徳性寺裏にある右田毛利家墓所。
元倶の墓の他には元倶の生母、
正室松崎の方ら女系の墓が中心とのこと。
元倶の生母は木梨隆盛の娘とされ、
松崎の方は宍戸元続の娘という。
「毛利元倶の墓」。
※碑銘は風化で判別できず。
右田毛利家2代当主毛利元倶の墓。
初代の天野(毛利)元政の嫡男として生まれ、
元政が毛利姓に復した事により、
継嗣として兄弟で唯一毛利姓を名乗る。
※弟達は天野姓を名乗らされた。
元政の死後に家督を継いでいますが、
後に領地替えにより三丘から右田に移り、
藩政では当職等を務めています。
郷校時観園を設立して家臣に学問を推奨し、
天徳寺や徳性寺も再興。
家督を嫡男毛利元法に譲り隠居した後、
10年の隠居生活の後に死去しています。
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