長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
行われています。
勘場は御茶屋東側にあったようで、
代官以下藩役人として下代(勘定役)、
仕組方、筆者役、横目役、宮市御物送り、
仕組方下役、寺社方、歩行方、普請方、
山方等が置かれ、
勘場役人として大庄屋、同加勢、同暫役、
算用師、御恵米方、勘場守等がいたという。
「行程記 登り一(一部)」より。
御茶屋の隣に勘場があるのが確認できます。
※御茶屋と川の間のオレンジ屋根の建物。
「三田尻宰判勘場跡」。
英雲莊前より撮影。
跡碑や説明板などは何もありませんし、
その遺構も皆無。
当時は道路も無く隣り合っていますので、
道路も含めて敷地だった模様です。
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