山口市鋳銭司は、大村益次郎の故郷。
名前のとおり平安時代後期まで、
周防国の銭貨を鋳造していた場所でした。
大村はそこで村医の村田孝益の長男として生まれ、
幼名は宗太郎といいました。
大村の誕生地は、四辻駅近くの内田歯科医院の隣。
公園化して綺麗に整備されています。
「故兵部大輔大村永敏卿 誕生地」。
この地は代々村田家が住んでいた場所でしたが、
養子の父の実家である秋穂天田(現山口市秋穂西)に、
3歳の頃移り住んでいます。
成長した宗太郎は医師となるため、
三田尻の蘭医梅田幽斎に医学や蘭学を学び、
梅田の勧めで広瀬淡窓の咸宜園に入門しました。
21歳の時に大坂に出て緒方洪庵の適塾で学び、
適塾在籍中に長崎の奥山静叔のもとで1年間遊学し、
その後、大阪に戻って適塾の塾頭に昇進しています。
嘉永3年に父の請いに応えて帰郷。
父の跡を継いで、鋳銭司の四辻で開業しました。
名前も村田良庵と改めます。
村田良庵が開業したとされる場所。
跡地は普通の民家で碑などはありません。
父の住む秋穂ではなく、生まれた鋳銭司に戻ったのは、
やはり代々村田家が住んだ場所だったからでしょうか?
開業の翌年には、農家の高樹半兵衛の娘琴を娶っています。
「琴子夫人旧宅」。
鋳銭司の北東に位置する鷹之子と呼ばれる場所。
ここが高樹半兵衛の住居であったのでしょう。
「花神」では「茅ぶき門の百姓屋敷」だったされます。
大村の死後、琴子は鋳銭司天神原の屋敷に住んでいましたが、
その屋敷に泥棒が入り、飼っていた愛犬が殺されたとの事。
それが原因かはわかりませんが、琴子は鷹之子に戻りました。
大村も、大村の父も、そして琴子も、
生まれた地に戻ったという事になりますね。
鋳銭司より10kmほど南へ行った秋穂。
秋穂には朝日山招魂場(記事はこちら)がありますね。
その秋穂の天田という場所に、大村の両親の墓があります。
「大村益次郎両親の墓」。
大村の父村田孝益は、秋穂に移り住んで開業し、
私塾も開いています。
大村も少年時代は秋穂で養育されていました。
この墓は門弟が建てた追善供養碑。
今回は行きませんでしたが、
父孝益の実家の藤村家は現存しており、
また大村の祖父の墓や、琴子の愛犬の墓もあるらしい。
また探してみたいと思います。
■関連記事■
・山口市鋳銭司 大村益次郎の墓
大村は遺言によって故郷の鋳銭司に葬られました。
・愛媛県宇和島市 大村益次郎住居跡
大村の宇和島在住時の住居。
・京都府京都市 京都霊山護國神社②
霊山護国神社にも大村の墓碑があります。
・大阪市北区 龍海寺(緒方洪庵墓所)
師緒方洪庵の墓の傍に、切断された右足が埋められました。