京都府京都市 京都霊山護國神社②

つづき。
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梅田雲浜の碑よりさらに上へ。
長州藩勤皇志士らの墓域に入ります。

長州勤王烈士墓域」。
禁門の変等で殉難した長州藩士らの墓碑。

長州勤王烈士墓域より石段を挟んだ先に、
小さな社殿があります。

山口藩招魂社(右)」と「霊山招魂社」。
明治天皇の詔によって各藩が建立した招魂社のうち、
山口藩の建立した社と、公卿らの建立した社。

長州藩士の墓碑の裏手には、
天誅組の変生野の変の合葬碑。

天誅組の変 生野の変合葬碑」。
天誅組の変の殉難者31名と、
生野の変の殉難者6名の合葬碑で、
特に六角獄舎で殺害された者が多い。
天誅組に関しては別エリアにも殉難者が集められています。

長州勤王烈士墓域からさらに上り木戸の墓へ。

松林廉之助碑」。
大村藩士松林飯山の碑。
木戸の墓所に至る途中に建てられています。
大村藩校五教館の初代祭酒で、勤皇派の首魁でしたが、
佐幕派に暗殺されこれをきっかけに佐幕派は一掃され、
大村藩は勤皇に進むことになりました。


内閣顧問勲一等贈正二位木戸孝允墓」。
墓域の一番高い位置に建てられた木戸の墓。
神道碑でもわかるように、
木戸は霊山墓地において特別な存在。
霊山官祭招魂社設立に尽力し、
ここへの埋葬も遺言しています。


贈正二位木戸孝允妻岡部氏松子墓」。
木戸の傍らには妻の松子(幾松)の墓があります。
松子は木戸の死後、薙髪し翠香院と号し、
木屋町に住んで墓に欠かさず参拝していたという。

木戸の墓所を出て反対側より下る。

元治元年甲子七月十九日戦死者埋骨所」。
禁門の変の戦死者を埋葬した事を示す碑。
この場所に遺骨が埋葬されたのか、
この区域を意味しているのかわかりません。


地図に載っていない墓も沢山あります。
反対に地図に載っていても見落としたものもありました。
これだけあるんだし仕方ないですよね。

下って長州勤王烈士墓域の反対側へ。

長州藩の墓碑が並ぶ中、
いきなり池田屋惣兵衛の墓碑があったりします。
吉田稔麿船越清蔵の墓碑もありました。


右より「高杉晋作源暢夫之墓」「来嶋又兵衛源政久之墓
久坂義助越智通武之墓」「寺嶋忠三郎源昌昭之墓
入江九市弘毅之墓」。
長州勤王烈士墓域の中央付近にあります。
高杉晋作のみ禁門の変殉難者ではありませんが、
晋作の墓碑は昭和49年に建立されたものでした。


大邨君之神霊」。
大村益次郎の墓碑。「」は「」の旧字。
案内板が無ければ見逃しそうです。

つづく。
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