山口市にいる知り合いが、遠くに転勤してしまうということで、会いに行きました。
僕の会社は出張はあるけど転勤がありません。
大変だなと思いつつも、うらやましい気もします。
さて、山口市にせっかくきたのに、史跡の一つもまわらなければ男がすたる(?)。
ということで、今回は糸米にある木戸神社に行ってみました。
文武両道の神と書かれていますね。
木戸神社は、名前のとおり木戸孝允(桂小五郎)を祭神としています。
木戸は臨終にあたり、この糸米にある自分の旧宅や山林を糸米の村民に寄付し、
子弟の学資に充てるよう遺言しました。
木戸の嗣子正二郎は、山口県令関口隆吉に寄託して村民に与えました。
糸米の村民はそれを公債証書600円に換え、
その利子を糸米村の五十余戸の子弟の学費にしたそうです。
糸米の人々は大変感謝し、木戸邸の隣に社を建てました。
額束を3つ持つ非常に珍しい形態の鳥居。
とても低く、背の高い人なら頭がぶつかってしまいますね。
『木戸公恩徳碑」。
横に説明板が建てられてます。
全国の顕彰碑にこういう親切な「説明書」がつけられることを願います。
維新三傑の一人にしては、とても小さな無人の神社。
木戸は維新後、諸隊の氾濫分子を力で押さえつけ、
山口の人々から人気がありませんでした。
木戸を祀ろうと思ったのは、この糸米の村民くらいだったのでしょう。
神社の隣には「木戸孝允旧邸址」があります。
今は庭のみ残っているようです。建物もありましたが、
普通(とはいえ立派な)の民家のようです。
彼岸花がちらほら咲いていました。もう秋ですね。
長州藩の藩庁を、不便な萩から山口政事堂に移したとき、
桂小五郎も居をこの糸米に構えて、山口政事堂に通ったようです。
神社は小さくささやかですが、地元の運営により、
毎年4月に春季例大祭(木戸孝允公奉賛春祭・勧学祭)が行なわれているそうです。
維新三傑の一人。剣豪にして逃げの小五郎。
幕府や新選組が追い求め、坂本龍馬、西郷隆盛ら名だたる英傑に並ぶ、
木戸孝允(桂小五郎)の、地元での過小評価ぶりに、
他県から観光に来た観光客は、驚かれるんじゃないでしょうか?
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木戸の神道碑および墓所があります。
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実は木戸の肖像がお札になってたりします。
・山口市 鋭武隊士今井六郎の墓
木戸は脱退騒動を直接指揮を取って鎮圧。これが不人気の理由。