つづき。
①/②/③/④
霊山官祭招魂社の設立にあたり、
霊山に招魂社を建立した各藩の墓域。
まずは熊本藩。
左から、
「河上彦斎」、
「樋口直次良好」、
「堤松左衛門次」。
比較的新しい墓碑です。
河上彦斎は幕末の四大人斬りとして知られ、
片手抜刀の達人でした。
排他的攘夷主義者であったようで、
尊攘が時代遅れとなってからも、
鎖国攘夷に拘って新政府から疎んじられ、
大村益次郎や広沢真臣の暗殺事件、
二卿事件への関与が疑われ、
捕らえられて斬首されています。
樋口直次は江戸詰の際に、
脱藩して尊攘活動をしていたようですが、
詳しい事は不明。
文久2年に捕縛されて六角獄舎へ収監。
その後の消息は判っていません。
禁門の変の際に斬首されたと思われます。
堤松左衛門は肥後勤王党の一員で、
横井小楠暗殺を実行しますが失敗。
これを恥じて自刃しました。
「各名招魂碑」。
熊本藩尊攘志士の合同招魂碑。
裏側に殉難志士らが刻まれていますが、
それを見るまで何かわかりませんでした。
「肥後横井小楠之神霊」。
横井小楠は実学党の中心人物。
熊本藩からは冷遇されましたが、
福井藩の招聘を受けており、
政治顧問として藩政改革を指導し、
松平春嶽が政治総裁職に任命されると、
これを助けて幕政改革にも参与。
上記の暗殺未遂事件により、
士道不覚悟を理由に藩籍を解かれています。
維新後の活躍が期待されましたが、
明治2年に十津川郷士に襲撃されて死去。
「熊本藩招魂社」。
明治3年、熊本藩主細川韶邦によって建立。
祭神は18柱。少なめですね。
お次は岐阜県招魂場。
こちらは社殿がありません。
「星巌梁川先生之碑(右)」、
「贈従四位所郁太郎則神霊(左)」。
招魂場という割に2名しかありません。
梁川星巌は美濃の勤皇詩人で、
尊皇攘夷を唱えて幕府に睨まれ、
安政の大獄で捕縛対象者となりましたが、
捕縛される前にコレラによって死去。
所郁太郎は美濃出身の医師で、
適塾の門下でもありました。
京都の長州藩邸の傍で開業し、
その縁から七卿落ちに同行。
桂小五郎の推挙で藩医となり、
井上聞多が襲撃を受けた際には、
治療にあたって井上の命を救っています。
長州内訌戦では遊撃軍の軍監となりますが、
腸チフスを患って死去。
福岡県。
「福岡圏招魂社」。
仙田一郎、中原出羽守、海賀宮門、
平野国臣、戸田玄成、吉田重蔵、
中村常次郎、戸原卯橋の墓碑と、
平野國臣君碑、望東尼の歌碑があります。
福岡藩ではなく福岡県の招魂社で、
福岡藩と久留米藩が建立したものです。
祭神は215柱。
水戸藩。
「水戸藩招魂社」。
祭神は1785柱。桁が違いますね。
元治甲子の変(天狗党の乱) 1074柱
安政の大獄 7柱
桜田門外の変 21柱
東照寺の変 11柱
坂下門外の変 5柱
越後敦賀の殉難(天狗党) 345柱
その他 322柱
これらを見ると、
水戸藩士が激烈であったとわかります。
最後に鳥取藩。
「鳥取藩招魂社」。
明治3年に鳥取藩知事池田慶徳が建立。
祭神は87柱。
足利三像梟首事件、本圀寺事件、
生野の変、天誅組の変 11柱
戊辰戦争 76柱
鳥取藩付属の山国隊7柱も含まれています。
これにて霊山墓地の参拝は終了。
一度では全てを網羅することはできません。
出口は[昭和の社]を通りますが、
ブログ趣旨と違いますので割愛。
最後の[パール博士顕彰碑]が泣かせます。
「霊山義忠之碑」。
明治9年の祭祀の際に、
明治天皇の手元金が下賜されたのを記念し、
殉難志士達を顕彰するために建立された碑。
京都霊山護國神社傍にある霊山記念館。
「霊山記念館」。
幕末に活躍した人々達の遺墨や遺品、
書状、資料・文献を公開展示しています。
まさに幕末ミュージアムといったところで、
是非とも行ってみたいのですが、
時間の関係上断念。
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246万6532柱を祀る招魂社。