京都府京都市 霊山護國神社④

つづき。
///④

霊山官祭招魂社の設立にあたり、
霊山に招魂社を建立した各藩の墓域。
まずは熊本藩

左から、
河上彦斎」「樋口直次良好」、
堤松左衛門次」。
比較的新しい墓碑です。
河上彦斎幕末の四大人斬りとして知られ、
片手抜刀の達人でした。
排他的攘夷主義者であったようで、
尊攘が時代遅れとなってからも、
鎖国攘夷に拘って新政府から疎んじられ、
大村益次郎広沢真臣の暗殺事件、
二卿事件への関与が疑われ、
捕らえられて斬首されています。
樋口直次は江戸詰の際に、
脱藩して尊攘活動をしていたようですが、
詳しい事は不明。
文久2年に捕縛されて六角獄舎へ収監。
その後の消息は判っていません。
禁門の変の際に斬首されたと思われます。
堤松左衛門は肥後勤王党の一員で、
横井小楠暗殺を実行しますが失敗。
これを恥じて自刃しました。


各名招魂碑」。
熊本藩尊攘志士の合同招魂碑。
裏側に殉難志士らが刻まれていますが、
それを見るまで何かわかりませんでした。


肥後横井小楠之神霊」。
横井小楠は実学党の中心人物。
熊本藩からは冷遇されましたが、
福井藩の招聘を受けており、
政治顧問として藩政改革を指導し、
松平春嶽政治総裁職に任命されると、
これを助けて幕政改革にも参与。
上記の暗殺未遂事件により、
士道不覚悟を理由に藩籍を解かれています。
維新後の活躍が期待されましたが、
明治2年に十津川郷士に襲撃されて死去。


熊本藩招魂社」。
明治3年、熊本藩主細川韶邦によって建立。
祭神は18柱。少なめですね。

お次は岐阜県招魂場
こちらは社殿がありません。

星巌梁川先生之碑(右)」、
贈従四位所郁太郎則神霊(左)」。
招魂場という割に2名しかありません。
梁川星巌は美濃の勤皇詩人で、
尊皇攘夷を唱えて幕府に睨まれ、
安政の大獄で捕縛対象者となりましたが、
捕縛される前にコレラによって死去。
所郁太郎は美濃出身の医師で、
適塾の門下でもありました。
京都の長州藩邸の傍で開業し、
その縁から七卿落ちに同行。
桂小五郎の推挙で藩医となり、
井上聞多が襲撃を受けた際には、
治療にあたって井上の命を救っています。
長州内訌戦では遊撃軍の軍監となりますが、
腸チフスを患って死去。

福岡県

福岡圏招魂社」。
仙田一郎中原出羽守海賀宮門
平野国臣戸田玄成吉田重蔵
中村常次郎戸原卯橋の墓碑と、
平野國臣君碑望東尼の歌碑があります。
福岡藩ではなく福岡県の招魂社で、
福岡藩と久留米藩が建立したものです。
祭神は215柱。

水戸藩

水戸藩招魂社」。
祭神は1785柱。桁が違いますね。
 元治甲子の変(天狗党の乱) 1074柱
 安政の大獄            7柱
 桜田門外の変          21柱
 東照寺の変           11柱
 坂下門外の変           5柱
 越後敦賀の殉難(天狗党)   345柱
 その他            322柱

これらを見ると、
水戸藩士が激烈であったとわかります。

最後に鳥取藩

鳥取藩招魂社」。
明治3年、鳥取藩知事池田慶徳が建立。
祭神は87柱。
 足利三像梟首事件、本圀寺事件、
 生野の変、天誅組の変      11柱
 戊辰戦争            76柱
鳥取藩付属の山国隊7柱も含まれています。

これにて霊山墓地の参拝は終了。
一度では全てを網羅することはできません。
出口は「昭和の社」を通りますが、
ブログ趣旨と違いますので割愛。
最後の「パール博士顕彰碑」が泣かせます。

霊山義忠之碑」。
明治9年の祭祀の際に、
明治天皇の手元金が下賜されたのを記念し、
殉難志士達を顕彰するために建立された碑。

京都霊山護國神社傍にある霊山記念館

霊山記念館」。
幕末に活躍した人々達の遺墨や遺品、
書状、資料・文献を公開展示しています。
まさに幕末ミュージアムといったところで、
是非とも行ってみたいのですが、
時間の関係上断念。

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