つづき。
①/②/③/④
梅田雲浜の碑よりさらに上へ。
長州藩勤皇志士らの墓域に入ります。
「長州勤王烈士墓域」。
禁門の変等で殉難した長州藩士らの墓碑。
長州勤王烈士墓域より石段を挟んだ先に、
小さな社殿があります。
「山口藩招魂社(右)」、
「霊山招魂社… 続きを読む
京都府京都市 霊山護國神社②
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出張で山口県光市に行きました。
仕事が終わり夕方にホテルに行く途中、
室積の光峨眉山護国神社に寄ってみます。
光市室積周辺(光峨眉山護国神社の場所)
象鼻ケ岬という文字通り象の鼻のような岬。
光中学校を越えると駐車場があり、
そこからは歩いて行かなければなりません。
遊歩道には八十八体の石仏が、
等間隔に置かれています。
遊歩道の途中に分かれ道があり、
橋を渡ると鳥居があって、
その先が参道となっています。… 続きを読む
美祢市南端の厚保町は栗の産地として有名で、
栗の木に適した土壌を持ち、
江戸時代後期より栽培されていました。
その大きくて甘い厚保栗は、
現在も盛んに栽培されています。
その厚保にある来島又兵衛関連の史跡。
又兵衛は無給通士喜多村政倫の次男に生まれ、
初名は亀之進といいました。… 続きを読む
シルバーウィークです。
どこにも行かずってのはもったいない。
とは言え遠出するお金も体力も無い。
こんなときこそ近くの史跡に行くべきと、
下関のお隣山陽小野田市に行って見ます。
山陽小野田市は当時の厚狭郡あたりで、
一門家老厚狭毛利家の所領で、
来島又兵衛の生まれた地。
来島又兵衛の生まれた場所は、
市岐島神社の境内にあります。
「… 続きを読む
TⅤなどの後世のイメージなのですが、
来島又兵衛といえば長州の豪傑って感じ?
豪快でワイルドな容姿を想像します。
肖像もこんなです。
そういうイメージですので、
猪突猛進、猪武者なのかと思いきや、
文武両道のお方だったようです。
確かに体格は大きく大石神影流剣術、
大島流槍術、… 続きを読む