シルバーウィークです。
どこにも行かずってのはもったいない。
とは言え遠出するお金も体力も無い。
こんなときこそ近くの史跡に行くべきと、
下関のお隣山陽小野田市に行って見ます。
山陽小野田市は当時の厚狭郡あたりで、
一門家老厚狭毛利家の所領で、
来島又兵衛の生まれた地。
来島又兵衛の生まれた場所は、
市岐島神社の境内にあります。
「市岐島神社」。
道路脇に来島又兵衛誕生之地とあります。
小さな社殿。
「あがらない さばらない」と、
注意書きが貼られていました。
「さばらない」は中国地方の方言で、
「寄りかからない」という意味。
県外では通じないのではないでしょうか?
さわってはいけないと勘違いしそうです。
「来島又兵衛誕生之地」碑。
来島又兵衛の誕生地の碑。
長州藩士喜多村正倫の次男として生まれ、
幼名を亀之進、光次郎と云いました。
後に来島又兵衛政常の養子となり、
又兵衛政久を名乗ります。
新陰流免許皆伝、槍術馬術に優れ、
その姿は加藤清正の再来と云われて、
「今清正」「鬼又兵衛」とも称されました。
数字にも強く大検使役、江戸方御用所役、
地方所帯方役などを歴任。
禁門の変での壮絶な戦死や肖像画から、
猪武者と思われがちですが、
思慮ある人物だったようです。
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・来島又兵衛
来島又兵衛について。
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来島又兵衛の墓碑もあります。
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来島又兵衛の銅像や墓など。