美祢市南端の厚保町は栗の産地として有名で、
栗の木に適した土壌を持ち、
江戸時代後期より栽培されていました。
その大きくて甘い厚保栗は、
現在も盛んに栽培されています。
その厚保にある来島又兵衛関連の史跡。
又兵衛は無給通士喜多村政倫の次男に生まれ、
初名は亀之進といいました。
亀之進は大組士来島政常の婿養子となり、
政常の養女タケと結婚しています。
厚保小学校校庭に又兵衛の銅像があります。
「贈正四位来嶋又兵衛像」。
巨漢で武芸全般を極めた又兵衛は、
[鬼又兵衛][今清正]と称されたという。
武芸だけでなく算術にも長けていたようで、
事務方としても大役を任されました。
近くに井上馨の療養地の碑があります。
「世外候養痍隠晦之處」。
井上聞多が俗論党に襲撃され、
瀕死の重傷を負った後、
妹の嫁ぎ先の来島家で匿われ療養。
既に又兵衛は禁門の変で戦死しており、
来島家の跡継ぎである長男亀之進は、
藩命で森清蔵を名乗っています。
※幕府の追求を避ける為に改姓。
「来嶋又兵衛旧宅」。
来島邸跡には新しい家が建っていますが、
玄関先に[来嶋又兵衛遺愛之梅]があります。
厚保小学校のプールのある場所が、
来島邸の場所だとするHPもありますが、
住民の方曰くこの場所に間違いないとのこと。
写真はわずかに残されている当時の壁と、
又兵衛が愛したとされる梅の木。
来島邸跡を後にして中国自動車道の南側へ。
そこの高岡墓地に又兵衛の墓があります。
墓地は地元の人しかわからないような場所で、
かなり荒れ果てた場所でした。
※もちろんキレイにされてるお墓もあります。
山道の所々に墓があるといった感じ。
古い墓地故に無縁墓が多いのか、
しげみと化してる墓が多くあります。
探すのに苦労しましたが、
一番高い位置(?)に見つけました。
「来嶋又兵衛正久之墓 来嶋氏之墓(左)」、
「森家累代之墓(右)」。
左が来島又兵衛の墓。
遺髪が埋葬されているとされ、
妻のタケも眠っています。
森家累代之墓は又兵衛の長男家のもの。
実子森清蔵の写真が現存していますが、
豪傑なイメージではなく中々の男前。
又兵衛も実はハンサムだったのかも?
肖像は髭面ですが当時は流行ってませんし、
想像とは別の人物だったのかもしれませんね。
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・来島又兵衛
来島又兵衛について。
・山口県山陽小野田市 市岐島神社
来島又兵衛の誕生地。
・山口県光市 光峨嵋山護国神社
来島又兵衛の墓碑もあります。
・ 山口県岩国市 通化寺/遊撃軍の本陣
来島の死後も遊撃隊は存続。