山陽小野田市 来島又兵衛誕生之地など

シルバーウィーク。どこにも行かずってのはもったいない。
けれどどこか遠出するお金も体力も無い・・・・。

こんなときこそ近くの史跡に行くべきと、
下関のお隣、山陽小野田市に行って見ました。

山陽小野田市は、長州藩一門家老厚狭毛利氏の治めていた地で、
禁門の変で討死した来島又兵衛の生まれた場所でもあります。

来島又兵衛の生まれた場所は、厳島神社にあります。

道路脇に「来島又兵衛誕生之地」と書かれた看板がありました。
厳島神社は小さな神社で、正式には「市岐島神社(いちきしまじんじゃ)」。


小さな社殿。
注意書きで「あがらない さばらない」と書かれていました。

さばらない」とは中国地方の方言で「寄りかからない」という意味。
他の地方から来た人は意味わからないんじゃないでしょうか?
「さわってはいけない」と勘違いしそうです。


来島又兵衛誕生之地」の碑。
長州藩士喜多村正倫の次男としてここで生まれ、幼名を亀之進、光次郎と云いました。
後に来島又兵衛政常の養子となり、又兵衛政久を名乗ります。
新陰流・神陰流の免許皆伝、槍術・馬術にも優れ、加藤清正の再来と云われ、
今清正」、「鬼又兵衛」とも称されました。
また、数字にも強く大検使役江戸方御用所役地方所帯方役などを歴任。
禁門の変での一連の行動から猪武者と思われがちですが、思慮ある人物でした。

山陽小野田市の皿山はその昔、焼物が盛んに作られていました。
天保の末頃、周防の焼物師が周辺の畑土をみて、焼物に適していると語ったことから、
前原一誠の父佐世彦七が援助して「登り窯」を開いたのが起源。
現在は衰退しましたが、当時の登り窯が残されています。


旦の登り窯」。
これは日本舎密製造株式会社(現日産化学㈱)の、
製造する硫酸などを入れる容器を製造していた釜です。



硫酸を入れていた斗瓶
今でいう一斗缶ですね。薬事法の改正で陶器が使えなくなり、その役目を終えました。
「旦の登り窯」のある場所から坂を下ると、前原一誠の住んでいた場所があります。


前原一誠旧宅址」。
前原家に養子に行く前、郡吏となった父とともに移住した場所です。
郡吏の父は陶器作りを奨励した功労者でした。
前原は一時は陶器作りにも従事しています。

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来島又兵衛
 来島又兵衛について。
光市 光峨嵋山護国神社(遊撃隊の招魂社)
 来島又兵衛の墓碑もあります。
・ 美祢市 来嶋又兵衛関連史跡
 来島又兵衛の銅像や墓など。

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