山口県周南市 毛利元政宝篋印塔

宍戸家墓所より更に奥へ進み、
少し開けた場所を過ぎると、
2つの宝篋印塔が見えてきます。


毛利元政宝篋印塔(左)」、
宍戸元続夫人の墓(右)」。
右田毛利家初代毛利元政と、
宍戸家初代宍戸元続夫人の宝篋印塔。
隣同志ですが夫婦関係ではありません。
元政は毛利元就の七男として生まれ、
安芸国人天野家の養子となって家督を継ぎ、
毛利家一門として元就の中国制覇に貢献。
関ヶ原の戦い後に毛利家が減封されると、
周防国熊毛郡三丘を与えられていますが、
次代毛利元倶知行地替えで右田に移り、
右田毛利家と呼ばれるようになりました。

元続夫人は織田信長の娘とされていますが、
これは信憑性に乏しいようで、
毛利家家臣内藤元種の娘であったとか。
彼女は羽柴秀勝の正室でしたが、
※秀勝は信長の四男。
秀勝の早逝後に再婚して娘を産みました。
元続が継室を貰っていることから、
その後に早逝したと思われますが、
彼女の娘は元政の子元倶の室となっており、
この二基は姻戚関係にあるようです。

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