山陽自動車道熊毛ICの入口付近に、
宍戸家の郷校徳修館があります。
熊毛IC周辺(徳修館の場所)
「徳修館」。
21代当主宍戸就年が創立した郷校。
23代宍戸元礼は明倫館を模し、
聖廟を新築しそれが現在も残っています。
当時は大小10棟の建物があったようで、
敷地面積は1500㎡に及んだとされます。
徳修館に似合わないハニワや壺が沢山。
なんでかな?と思っていたら・・。
「弁慶穴古墳」。
この辺りは古墳が多いらしいのですが、
この弁慶穴古墳は別の場所で発見され、
高速道路建設に伴って移築されたようです。
古墳って移築できるんですね。
「贈従四位宍戸親基公碑」。
幕末後期の当主宍戸親基の顕彰碑。
禁門の変や下関戦争、内訌戦の収拾に努め、
筆頭家老としての役目を果たしました。
また徳修館の経営にも力を注いでいます。
「大涛君墓碑銘」。
コミュニティーセンター三丘徳修館の側に、
大涛君墓碑銘と題された石碑があります。
大涛緩という人物を調べてみると、
幕使中根市之丞を襲撃した人物でした。
※記事はこちら。
宍戸家家臣で有馬幸次と称しており、
奇兵隊に入隊して攘夷戦に参加。
中根市之丞殺害に関与して大坂に潜伏し、
天誅組の変や倉敷浅尾騒動に関与します。
幕長戦争では第一大隊参謀として活躍し、
明治3年の脱退騒動では調停に奔走。
しかし鎮圧後に諸隊を扇動したとして、
新政府によって切腹させられてしました。
妻の千嘉も大涛の墓前で自害したという。
この碑は四十周忌を記念して建立。
最盛期の生徒は400名以上とされ、
郷校ながら盛況ぶりに驚かされますが、
当時の人々はこの徳修館の構内に、
ハニワや壺が沢山設置されるなんて、
夢にも思わなかったでしょうね。
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宍戸家家臣団は芸州口で戦っています。