関ケ原の戦いに敗れた毛利家が、
長門、周防二国に減封された際、
熊毛郡三丘は毛利元政に与えられますが、
※旧姓天野元政。三丘入封時に復姓。
寛永2年(1625)の藩内知行地替えにより、
2代当主毛利元倶が佐波郡右田に移され、
以後は右田毛利家として右田を領します。
代わって三丘には筆頭家老宍戸家が入り、
以後の三丘は代々宍戸家が治めました。
「広末地区文化財案内板」。
周南市小松原の広末地区には、
元政や宍戸家の墓所が集まっています。
ここには仙竜寺という寺があったようですが、
廃寺となったようで詳細はわかりません。
歴代領主が墓所としていた事から、
ある程度は大きな寺だったと思われます。
案内板に従って散策。
「毛利元就公歯廟(右)」、
「乃美の方宝篋印塔(左)」。
元政は父毛利元就の抜け落ちた歯を貰い受け、
肌身離さず持ち歩いていたようですが、
元就の三十三回忌に供養塔を建立し、
その歯をここに納めています。
同年は生母乃美の方の三回忌でもあった為、
同時に宝篋印塔を建立して菩提を弔いました。
※乃美の方は元政の他に、穂井田元清、
小早川秀包を産んでいます。
老後は元清の子毛利秀元に引き取られ、
間もなく長府で没しました。
この場所も仙竜寺の境内だったようです。
■関連記事■
・山口県防府市 天徳寺/右田毛利家墓所
毛利元政は右田毛利家の祖。
・下関市長府 功山寺/長府藩毛利家墓所
乃美の方の墓所は功山寺。