玖珂宿は西国街道の宿場町ですが、
西隣の高森宿とは半里の距離。
東側には難所である欽明路峠がある為、
峠道の手前に宿場を設置したようです。
岩国市玖珂町周辺。
緑の線が西国街道で青い線が柳井小路。
青でぼかした辺りが宿場のあった場所。
「玖珂宿跡」。
県道144号線が街道筋。
古来より玖珂三市と呼ばれており、
街道沿いに並んで本郷市、新市、阿山市と、
3つの市があったようで、
本郷市は7日と24日、新市は11日、
阿山市は2日と20日に開かれたという。
また柳井小路と呼ばれた道が接続し、
岩国領お納戸である柳井と繋がっていた為、
物流の拠点にもなっていました。
宿場跡は旧玖珂町の中心部であった為か、
宿場町の雰囲気は残っていませんが、
周辺には古い家屋も多少は残っている様子。
「岩国市立玖珂小学校(御茶屋/代官所跡)」。
岩国領が設置した代官所が置かれ、
その表座敷は本陣として利用されたようで、
御茶屋と呼ばれていました。
代官所は玖珂組によって運営され、
※吉川家は領内を5組の支配地域に分けて、
その地域の行政を取り仕切っており、
玖珂組の他に、藤谷組、河内組、
由宇組、柳井組がありました。
玖珂村、須通村、用田村、牛王内村、
祖生村、伊陸村、田尻村・中山村等を支配。
元禄期の石高は1万7000石だったという。
■西国街道の宿場町
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