高森宿は西国街道の宿場町。
長州本藩領の東端に位置していたことから、
重要な宿場町であったという。
「御国廻御行程記 椙杜」。
この辺りは周防国玖珂郡椙杜郷と呼ばれ、
大内家家臣椙杜家が治めていたという。
椙杜家の嫡流は後に長府藩執政家老となり、
権力の中枢にありましたが、
宝永7年(1710)の浮石義民事件で失脚し、
その後の長府藩内の家臣対立で家禄を返上。
流浪の末に笠岡に移り住みますが、
断絶してしまっています。
椙杜の地名もいつしか高森となったという。
岩国市周東町下久原周辺。
緑の線が街道筋で、
赤丸で囲んだ辺りが高森宿のあった場所。
「高森宿跡」。
街道筋は県道144号線となっており、
宿場の雰囲気を醸し出す建物はあるものの、
宿場時代の建築物の多くは、
最近になって取り壊されてしまったという。
「高森本陣跡」。
たかもり本陣保育園前に玄関と塀が残され、
説明板なども設置されてますが、
平成27年まで屋敷は現存していました。
高森宿の本陣は相川家が勤め、
本藩領東端の本陣であった為に、
幕長戦争の際には外交交渉に使用され、
事実上の休戦協定も本陣で行われています。
「中村酒造跡」。
なまこ壁が残る醸造元の塀。
こちらも最近まで営業していたという。
裏側に廻ると庭園跡も残っており、
これを見る限り栄えていた事が伺えます。
「吉田松陰常宿の地」碑。
山口銀行高森支店の敷地にある跡碑。
吉田松陰は嘉永4年に参勤交代に加わり、
3月8日に醤油醸造業の岩本家に分宿。
碑は常宿となっていますが、
松陰が宿泊したのはこの1回だけ。
ちなみに松陰はこの1回の他に、
あと2度程高森宿に宿泊しており、
2度目は更に西側の亀屋市之助邸とのこと。
「吉田松陰先生宿泊之地」碑。
磯田酒店の向かい辺りにあります。
これは下田で密航に失敗した為、
金子重輔と共に萩に護送される道中。
3度目は安政の大獄での東送で、
この時の宿泊先は不明です。
高森宿には篤姫一行も宿泊したようですが、
どこに泊まったかは不明。
本陣相川家の他に脇本陣として、
山本家、受光寺が定められていましたので、
3つのどれかだと思われます。
東側へ向かって街道沿いにある墓地へ。
「贈正五位世木君之碑」。
長州内訌戦で戦死した世木騎騄の顕彰碑。
世木は士族出身の奇兵隊士で、
高杉晋作の脱藩上京にも同行したり
功山寺挙兵にも参加しており、
右腕のような存在であったようですが、
内訌戦での幣振坂の戦いで戦死しています。
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