御庄宿は西国街道の半宿でしたが、
錦川の河止め等で宿泊も多かったという。
岩国市御庄周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが御庄宿跡。
街道が歪なカーブとなっているのは、
水害を避ける為だったようです。
「御庄宿跡」。
宅地化されて道筋も変わり、
宿場の面影は殆どありません。
写真右側の2階建ての家の手前が、
本陣を務めた庄屋重村家跡のようですが、
更地になって遺構も碑もありませんでした。
御庄宿は上記のように水害を避ける為、
山手側しか家屋が建てられなかったようです。
御庄宿を出て御庄の渡し場跡へ。
「御庄橋」。
錦川の渡し場である御庄の渡しは現在、
御庄橋が架けられていますが、
その橋も老築化で通行禁止状態。
修繕は行われないようで放置されています。
渡し場には渡守が一人常駐していたようで、
1ヶ月のうち20日を御庄村から、
10日を対岸の多田村が務めたという。
御庄川沿いを南下すると、
錦川清流線(私鉄)の鉄橋があり、
その傍に思案橋が架かっています。
これが岩国城下への入口だったようで、
岩国を経由すれば遠回りになりますが、
天下の名橋である錦帯橋は一目見たい。
街道を真っ直ぐ進むべきか、
橋を渡って錦帯橋を拝むべきか、
旅人が思案した事からそう呼ばれました。
そして多くの旅人が誘惑に勝てずに、
思案橋を渡って岩国に入ったようですが、
大名達も同じく錦帯橋を通っており、
岩国藩(領)も困っていたという。
この場合は御庄宿は通らなかったようです。
■西国街道の宿場町
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