山口県美祢市 志道家墓所

志道家安芸毛利家の庶流で、
安芸国志道を領した為に志道姓を称し、
2代当主志道広良は毛利家執政として、
10代毛利興元から12代毛利元就まで、
家臣団の中心的人物として活躍。
以後の当主も毛利家に仕えており、
寛永2年(1625)に美祢郡於福を与えられ、
廃藩までその周辺3000石を領しました。

於福を通る国道316号線より西へ向かい、
小杉と呼ばれる場所の高台に、
志道家の墓所があります。
棚田を登った先にあるその場所には、
志道家が屋敷を構えていたようで、
同所に菩提寺の徳明院もありました。
これらは廃藩後に荒廃したようで、
屋敷は解体されて痕跡はありませんが、
徳明院にあった観音堂のみが残され、
往時を偲ばせています。


観音堂」。
歴代の位牌が納められた観音堂
内部を覗いた限り位牌らしきものは無し。
建物は傷んでいますが立派なものです。

志道家の墓所は観音堂参道の南側。
徳明院本堂跡の裏手にあたるようです。

志道家墓所」。
台座付きの野面石の墓石が並ぶ墓所。
7代~14代までの当主の墓があります。


徳明院殿英岩玄功居士(右)」、
梅仙院殿春光自晴居士(左)」。
7代当主志道就幸の墓と、
8代当主志道就徳の墓。
7代就幸の頃に於福に移されたようです。


高隆院心源宗鐵居士覺霊」。
9代当主志道就保の墓。
宝永3年(1706)に当職
同5年(1708)に当役となっており、
正徳2年まで務めています。


寛量院義山見勇居士」。
10代当主志道広幸の墓。


陽孝院殿健徳道順居士覺位」。
11代当主志道元範の墓。


春嶂院殿大年道椿居士覺位(右)」、
寛性院殿湛應量海大居士(中央)」、
謙輪院殿轉山譲機大居士(左)」。
12代当主志道就良の墓、
14代当主志道凞良の墓、
13代当主志道親良の墓。
13代親良と14代凞良は、
共に江戸加判役を務めています。

幕末期の当主は志道元襄
彼も加判役を務めており、
第一次長州征伐では広島に赴き、
幕府軍との交渉を行っていますが、
ここには墓は無いようです。

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