調子に乗って武田二十四将も調べてみる①

①/

七本槍の幕末について調べてみる
毛利元就家臣の幕末
徳川十六神将末裔の幕末①などで、
戦国武将の系譜が幕末はどうなってたかを調べましたが、
調子に乗って「武田二十四将」のも調べてみました。

武田二十四将図
絵によって武将が違ってますが、
とりあえず東京国立博物館所蔵のもので。

1.武田信玄(断絶)
甲斐武田家の嫡流は子の勝頼、孫の信勝天目山の戦いで、
織田信長に滅ぼされます。
甲斐武田家は信玄の外孫穴山勝千代が継ぎ、
武田信治を名乗りますが早世してしまい、
徳川家康の五男武田信吉が跡を継ぎ、
これも夭折したため断絶しました。
その後、武田の名は庶流によって名乗られ、
高家旗本となった家もあります。

2.穴山梅雪(断絶)
織田家に内通して武田家の名跡継承を画策した梅雪は、
家康の伊賀越えに同行し、一揆に遭遇して死亡。
嫡男の穴山勝千代が武田家当主になりますが、
早逝して断絶しました。

3.武田信廉(断絶)
信玄の影武者を勤めていた信廉でしたが、
勝頼自刃後の残党狩りで捕えられて斬首。

4.三枝昌貞(幕末期→幕府旗本)
信玄に重宝された足軽大将三枝昌貞は、
長篠の戦いで討死します。跡を叔父の三枝昌吉が継ぎ、
幼少であった嫡男守吉は、元服後に別家を興しています。
両家とも徳川家の旗本となり幕末まで続きました。

5.馬場信春(断絶)
70回を越える戦闘に参加して、
討ち死にする長篠の戦いまで、
かすり傷一つ負わなかった「不死身の馬場美濃」。
長篠の戦い後に家督を継いだ馬場昌房は、
甲州征伐で戦死または刑死したとされます。
庶流は徳川家の旗本や和泉国、越後国、
下野国の富裕郷士として続いています。

6.高坂昌信(断絶)
長篠で惨敗した勝頼に対し、
五箇条の献策をしたとされる高阪昌信は、
武田家滅亡後、織田家の森長可の配下となりますが、
本能寺の変が発生し、森が美濃へ撤退するのを妨害し、
その後は上杉景勝に属します。
しかし真田や北条と内通した事が発覚して誅殺され、
庶流も森長可の弟森忠政によって滅ぼされました。

7.山県昌景(断絶)
赤備えで畏れられた山県昌景は、長篠の戦いで討死。
赤備えの旧臣は井伊直政の軍に吸収され、
井伊家が赤備えを継承します。
一族は織田家の甲州征伐で捕らえられたり、
上杉や徳川の家臣となったりしています。

8.武田勝頼(断絶)
信玄の項と同様。

9.真田昌輝(幕末期→福井藩士)
真田幸隆の次男で、別家を興した真田昌輝は、
長篠の戦いで討死。嫡子真田信正は徳川に属し、
後に越前松平家に仕え、福井藩士として存続。

10.真田昌幸(幕末期→松代藩主)
真田宗家の三男でしたが、長男、次男が長篠で討死。
宗家を継いだ真田昌幸は、戦国きっての謀将となり、
嫡子の真田信之は徳川家に属して初代上田藩主となり、
後に松代藩に加増転封。松代を幕末まで統治しました。

11.曽根昌世(?)
真田昌幸と共に「信玄の両目」と云わしめた曽根昌世は、
武田家滅亡後は徳川家に属します。
後に蒲生氏郷に仕えたとされますが、その後の動向は不明。

12.内藤昌豊(幕末期→会津藩家老)
武田家無双の侍大将と云われた内藤昌豊ですが、
信玄よりの感状はゼロだったとか。
長篠の戦いでは、勝頼を逃がすために殿を務め、
無数の矢や槍を受けての壮絶な討死。
昌豊には実子が無く、保科正俊の三男が家督を継ぎ、
織田家、北条家と主を代えて、最終的に保科家に仕えました。
以後は会津藩家老として幕末に至ります。
会津戦争で活躍した家老梶原平馬は、内藤家からの養子。

続く・・・・・。

①/

■関連記事■
七本槍の幕末について調べてみる
 賤ケ岳七本槍の系譜は幕末に何をしていたか?
毛利元就家臣の幕末
 戦国時代に活躍した毛利家重臣の系譜は?
徳川十六神将末裔の幕末①
 徳川十六神将の系譜は何藩?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。