山口県阿武郡 桂昌寺/兒玉家墓所

桂昌寺の阿武町惣郷にある曹洞宗寺院。
寺伝によれば惣郷村の知行主兒玉廣恒が、
兒玉元恒の菩提を弔う為に創建し、
元恒の法号より桂昌寺としたという。


桂昌寺」。
神宮山北麓の寺尾にあり、
寄組兒玉家の知行地惣郷を臨みます。

ここに兒玉家墓所かあるということで、
住職さんに案内してもらいました。

兒玉家墓所」。
境内に流れる小川沿いにあり、
墓所は4段に分かれています。
惣郷村を領したこの兒玉家は、
兒玉外記(貞行流)家と呼ばれる家。

まずは一番下の段。

廣玄院殿恒峯道須居士(右)」、
弘高院泰山道安
 玉仙院真月浄圓
(左)」。
開基である24代当主兒玉広恒の墓と、
25代当主兒玉広高夫妻の墓。
広恒は23代兒玉就征の嫡男ですが、
広高は広恒の長男兒玉恒英が死去した為、
養子となって家督を継ぎました。
その妻は問田益田家4代益田元方の娘で、
広恒の養女として広高に嫁いでいます。

下から2段目。

清巖院徹應良心居士」。
兒玉六郎征久の墓。
広高の四男(?)で部屋住みのまま死去。


3段目。

道歡齊恒山全忠
 徴妙院瑞相永巌
」。
26代当主兒玉就恒夫妻の墓。
宍戸元安の次男として生まれ、
他家の養子となっていましたが、
後に広高の養子となっており、
その死後に伴い家督を相続しました。
妻は兒玉三郎右衛門家の娘。

27代当主兒玉就兄の墓もありましたが、
写真を撮り忘れてしまいました。
また再訪して撮影したいと思います。
墓は就恒の墓の隣。

4段目。

徳應院義天宗忠居士
 淨智院圓室智明大姉
」。
28代当主兒玉征武夫妻の墓。
分家兒玉恒久の嫡子兒玉恒忠の長男で、
就兄に継嗣が無かった為に養子となり、
養父の死後に家督を継いでいます。
通称は百合八郎。嘉永3年に死去。



繁樹院昌山大澤居士
 鏡壹院心覺清圓大姉
」。
児玉隼之進親和夫婦の墓。
資料がなく当主かわかりませんが、
征武の墓の隣にあります。

上記に墓所より山麗に沿って進むと、
もう一つの墓域がありますが、
案内無しでは発見不可能の場所。

兒玉家墓所」。
先程の墓所より新しい墓域。
幕末期のものです。


瑞龍院殿覺照元琳居士」。
元治、十二月の文字が読み取れます。


恵光院普山祥雲居士」。
文久二年八月十二日の没年。

肝心の幕末期の資料がなく、
被葬者が誰かもわかりません。
また詳しく調べた際は、
ここに追記しようと思います。

■関連記事■
山口県長門市 大寧寺墓地/児玉家墓所
 大寧寺にある兒玉外記家の墓所。