日露戦争の英雄兒玉源太郎は徳山藩出身。
誕生地は公園として整備されています。
「兒玉源太郎生誕の地」。
徳山藩馬廻士兒玉家の屋敷があった場所。
ここで兒玉源太郎は生まれました。
「兒玉家屋敷跡」の碑。
源太郎は兒玉の長男として生まれましたが、
父兒玉半九郎は源太郎が5歳の時に死去し、
家督は姉の婿養子兒玉次郎彦が継ぎます。
この兒玉次郎彦は徳山七士の一人で、
尊攘派として京都等で周旋活動を行い、
藩校興譲館でも尊皇攘夷を説くなど、
徳山藩尊攘派の重鎮でしたが、
藩内保守派によって暗殺されました。
つまり兒玉次郎彦の旧宅跡でもあります。
「兒玉大将産湯之井戸」。
兒玉源太郎の産湯を汲んだとされる井戸。
兒玉屋敷の井戸ですから当然、
産湯はこの井戸から汲むでしょう。
産湯の井戸は生誕地に必ずありますね。
「児玉文庫開設百年記念」碑。
兒玉源太郎は後進の育成の為に、
旧宅に私立図書館を開設しています。
英照皇太后(孝明天皇の皇后)崩御の際、
葬儀を取り仕切った功績によって、
皇室より金一封を賜り、
若干の自費を加えて費用に充てたらしい。
児玉文庫は残念ながら空襲で焼失しますが、
その開設100周年を記念して、
この碑が建てられたそうです。
兒玉源太郎の初陣は箱館戦争で、
藩の献効隊半隊司令として従軍しています。
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