長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
行われています。
吉田は山陽道と赤間関街道が交差し、
藩直轄地の最西に位置していた為、
役所として吉田宰判勘場が設置され、
美祢郡南西部と厚狭郡西部を、
管轄していました。
東行庵から県道262号を北に進み、
下関市立吉田小学校の北側の細道に入ると、
勘場の土塀が残っています。
「吉田宰判勘場跡」。
微妙に土塀が残されて井戸の跡もあり、
現在は取り壊されていますが、
近年まで土蔵が残っていました。
隣接して御茶屋も建てられていたようで、
参勤交代の諸大名の宿泊施設等に、
利用されていたようです。
数年前まで鬱蒼としていた記憶が・・。
現在は更地となり標柱が建っていました。
小学校側には状態良く土塀が残っています。
奇兵隊が吉田に転陣した際には、
陣屋の建設されるまでの屯所に利用され、
勘場に割り当てられた隊士は勘場詰、
御茶屋に割り当てられて隊士は御茶屋詰と、
それぞれ呼ばれたという。
代官や諸大名が使用するので、
居心地は悪くなかったでしょうね。
■関連記事■
・山口県長門市 先大津宰判勘場跡
18あった宰判勘場のひとつ。
・下関市吉田 奇兵隊陣屋の守護神
奇兵隊陣屋の裏にあった天神社の跡。
・下関市吉田 法専寺/首斬り六地蔵
奇兵隊の屯所となった寺院のひとつ。