大内氏館は大内家9代当主大内弘世以降、
山口を本拠とした際に建設され、
代々大内家当主が居住しており、
毛利家の山口侵攻まで使用された居館。
弘世は京都に模して山口の街並みを創り、
その居館を将軍邸宅を模して建設しました。
「… 続きを読む
山口県山口市 大内氏館跡
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大内氏館は大内家9代当主大内弘世以降、
山口を本拠とした際に建設され、
代々大内家当主が居住しており、
毛利家の山口侵攻まで使用された居館。
弘世は京都に模して山口の街並みを創り、
その居館を将軍邸宅を模して建設しました。
「… 続きを読む
高嶺城は戦国時代に築城された山城。
大内氏が山口を本拠とした際に、
京都を模した山口の街並みを構築しますが、
この為に要塞的な城は築かれず、
街の中心に居館が建てられていました。
大内氏は最盛期には中国… 続きを読む
新下関駅北東側にある普賢寺の納骨堂前に、
乃美大方の墓があります。
毛利元就の継室(又は側室)だった女性で、
元就の正室であった妙玖の死後に嫁ぎ、
穂井田元清(長府毛利家の祖)、
天野元政… 続きを読む
毛利家の防長移封後、
重臣桂能登家は桂家の嫡流で、
小野村を知行地として拝領し、
長州藩の寄組士として続きました。
同家は毛利元就の忠臣桂元澄の後、
桂元延、… 続きを読む
毛利時親は鎌倉末期~南北朝時代の武将で、
毛利宗家3代当主で安芸毛利氏の祖。
越後佐橋荘南条と安芸吉田荘の地頭となり、
河内国の邸宅に住んでいたようですが、
南北朝の争乱で安芸国に下向し、
安芸国で毛利家の勢力を拡大させました。… 続きを読む
江崎浦は深い入江の奥にある天然の良港で、
阿武郡18郷の米積出港となっていました。
北前船の西廻航路が開設されると、
商業港としても重要性を増し、
寄港誘致の為に定期的に市や芝居が開かれ、
更に津和野藩に港の使用を許可した為、
長州藩… 続きを読む
道の駅[萩往還]の北西側駐車場近くに、
長州藩の大屋刑場がありました。
ご多分に漏れず長州藩の刑場も、
街道脇に設置されていたようで、
旅人に刑の執行を見せる事により、
犯罪を抑止していたようです。
「大屋刑場跡(女体解剖地跡)」。
萩城下から離れた萩往還の竹林。
この場所に刑場が設置されました。… 続きを読む