毛利敬親は明治2年に隠居し、
家督を養嫡子毛利元徳に譲りました。
その隠居所として御殿建設が計画され、
建設地を野田に定めて着工されますが、
敬親は明治4年に死去してしまい、
御殿に入居することはありませんでした。
完成した御殿は毛利公別邸となり、
明治天皇の山口行幸の際には、
その宿所としても利用されていますが、
後に御殿は取り壊されています。
「野田御殿跡」。
現在の野田御殿跡は山口市菜香亭の敷地で、
菜香亭の建物が移築されている他、
その駐車場や広場となっています。
「山口野田邸差図(現地説明板より)」。
大規模な御殿が建てられていたようです。
激動の幕末長州藩を率いた敬親は、
その役目を終えたように死去しました。
気苦労も多かったと思いますで、
晩年をここでゆっくり過ごし、
その頃の事を語って欲しかったですね。
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