熊本県熊本市 住生院/奥山静寂墓所

往生院は熊本市西区池田にある浄土宗寺院。
安貞2年(1228)に聖光坊弁長が開山しますが、
その開山地は諸説あるようです。
後に加藤清正古鍛冶屋町に移しており、
元禄年間(1688-1709)には古町村に移転。
更に享保9年(1724)に現在地に移りました。


本堂」。
西南戦争では熊本隊の本営として使用され、
熊本城攻撃の拠点となっていたようです。

墓地には適塾塾頭奥山静寂の墓所があります。

奥山家墓所」。
奥山家相良村(現菊鹿町)の医家。
静寂が緒方洪庵に学んで帰郷した後は、
評判の医者となったようです。


奥山静寂之墓」。
蘭医師奥山静寂の墓。
21歳から10年間適塾で学んでおり、
非常に優秀であったようで、
洪庵に2代目塾頭を任されていました。
弘化3年(1846)に適塾を辞して帰郷し、
故郷で医業を継いでいますが、
評判を聞きつけた藩が熊本に呼び寄せ、
蘭学の教授や蘭書の翻訳に従事させており、
文久3年には藩主の侍医にもなっています。
明治4年に蘭医師C.G.マンスフェルトを招き、
熊本に古城医学校が設置されると、
助教としてマンスフェルトを補助しました。
明治7年にその役を辞して引退し、
同年に78歳で死去しています。

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