大楽寺北墓地にある楫取素彦夫妻の墓。
楫取は大河「花燃ゆ」の主人公美和子の夫で、
少し知られるようになった人物ですが、
その描かれ方が非常に酷いもので、
本来の彼の功績は殆ど語られず、
虚像でヒーローとされてしまいました。
僕が「花燃ゆ」の文句をってしまうと、
無限に文章に出来てしまいますので、
これはセーブしたいと思いますが、
実際は大河とは別の活躍をしています。
「正二位勲一等男爵楫取素彦墓(右)」、
「楫取家之墓(左)」。
楫取素彦の墓と、
美和子含む楫取家累代の墓。
9年前に一度訪問していますが、
今回大楽寺を再訪していますので、
改めて記事にさせて頂きます。
楫取は長州藩の藩医松島瑞蟠の次男で、
兄に甲子殉難十一烈士の松島剛蔵がおり、
弟には教育者の松田謙三がいました。
11歳で藩儒小田村家の養子となり、
小田村伊之助と称して明倫館に学び、
後に同校の講師に就任。
吉田松陰と親しくその活動を支援し、
松陰の妹の寿を娶っており、
松陰が松下村塾で講義を行うと、
これに賛同して塾生とも交わり、
松陰の投獄後は指導にもあたりました。
文久元年より藩外で周旋活動を行いますが、
禁門の変敗北後の保守派の台頭により、
野山獄に一時収監されています。
出獄後も藩命で周旋活動を行い、
幕長戦争の際には幕府軍へ使者として、
正使宍戸璣の副使として広島へ赴き、
幕軍によって一時的に抑留。
解放後も各所へ周旋を行いました。
維新後は職を辞して二条窪に隠居し、
同地を開墾して過ごしますが、
明治5年に出仕して足柄県参事となり、
明治7年に転じて熊谷県権令に就任。
明治9年には群馬県令となり、
前橋を正式な県庁所在地とします。
明治14年に前妻寿が死去した為、
寿の妹美和子と再婚。
その後は元老院議官、宮中顧問官、
貴族院議員を歴任。
明治26年に防府に居を構え、
貴族院議員として東京と防府を往復し、
明治44年まで3期在任しました。
大正元年に死去しており、
その9年後に美和子は死去しています。
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楫取素彦が一時隠居して過ごした地。
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楫取素彦の次男楫取道明の墓もあります。
・山口県萩市 楫取素彦旧宅
楫取素彦の旧宅跡。