山口県長門市 桜楓山荘跡

明治期に県令等を歴任した楫取素彦は、
主である毛利敬親が死去した際、
一時期職を辞して隠居していました。

桜楓山荘跡」。
長門国三隅の山奥に家を建て、
村人に植林開墾を指導しています。
その際に住んでいたのかこの桜楓山荘跡


住居があった事を示す石碑があるだけで、
残念ながら何も残っておりませんが、
大河ドラマに合わせて整地されました。


左右の山は楫取山と呼ばれたようで、
楫取素彦が植林した山だそうです。
妻の寿は月に2回僧侶を招き法座を開き、
女性も含めた周辺の村人を招待し、
仏の教えを広めたようです。

この地は楫取夫婦が移り住むまで、
荒れ果てた場所でした。
楫取は自ら百姓姿となり、
村人達と鍬を振るい木を植えたという。

残念ながら2年後に中央に召し出され、
この地を離れてはいますが、
そこは今でも森林が生い茂り、
田園豊かな風景が広がっています。

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