大河「花燃ゆ」で活躍中の小田村伊之助。
維新後は楫取素彦と名前を改めています。
その楫取素彦の旧宅跡に行ってみました。
「楫取素彦舊宅址」。
跡碑に足を掛けていますが、
若干1歳児ですのでお許しください。
時期は明らかではないそうですが、
ここに旧宅があった場所だそうです。
「時期が明らかではない」って、
大まかにもわからないのでしょうかね?
ここに寿と暮らしていたのか?
それとも文と暮らしていたのか?
元々の松島の家なのか?小田村の家なのか?
それとも新しく楫取と称した時なのか?
大河ドラマ効果で綺麗に整備され、
東屋まで建てられています。
略歴や周辺地図などが描かれていました。
楫取素彦旧宅跡の近くには、
山田顕義の誕生地があります。
「山田顕義誕生地」。
幕末期は山田市之允として知られ、
箱館戦争の立役者としても有名です。
戦術の天才であったようですが、
山縣有朋との確執により軍部を離れ、
日本大学の創始者となりました。
「顕義園」。
誕生地は整備されて銅像もあります。
卒業生らの植樹が至る所にありました。
やはり大学を造った人は違いますね。
「山田顕義先生之像」。
銅像ってのは古びて初めて威厳が出ます。
彼は高杉晋作が丙寅丸に乗り込み、
大島沖の幕府艦隊に奇襲攻撃を仕掛けた際、
丙寅丸の砲隊長として参加しています。
晋作や大村益次郎の許で経験を積み、
「小ナポレオン」と称される程、
軍人としての才能を開花させました。
天才晋作と理論派大村の許で働けたことは、
彼のその後に大きく役に立ったのでしょう。
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