白井小助は寄組浦家家臣白井弥蔵の長男。
江戸藩邸で吉田松陰と起居を共にし、
それ以降親しく交友していたとされます。
松陰が伝馬町獄舎に入獄された際に、
金銭の差し入れを行っていた事で知られ、
後に松陰門下らとも親交しており、
英国公使館焼討事件にも参加。
高杉晋作が奇兵隊を結成するとこれに入隊し、
下関攘夷戦に参加していますが、
銃の暴発で右目を失明してしまいました。
その後は真武隊参謀、第二奇兵隊総監と移り、
大島戦争や戊辰戦争に従軍。
戦後は奇兵隊軍監となりましたが、
維新後は官職には就かずに隠遁し、
白井素行と名乗り飯山塾を開設して、
子弟に学問を教えて過ごしています。
「飯山塾跡」。
飯山塾跡は飯山の中腹にあり、
石垣や石段が残っています。
「白井素行飯山塾跡」碑。
建物は空家のまま残っていたようですが、
老朽化で崩れかけていた為に、
取り壊されてしまったようです。
飯山塾跡から東側に100m弱歩き、
国道188号線の手前辺りへ。
「白井素行之碑」。
明治40年に建てられた白井素行の顕彰碑。
毛利元昭篆額、山縣有朋撰、高島張輔書。
右目を失明して怖い顔をしており、
厳格で厳しく接していたようですが、
意外にも子供らには好かれていたという。
山縣らとは生涯交流があったとされ、
何度も仕官を誘われたとされますが、
その度に断っていたようで、
疎まれて仕官出来ななった訳ではなく、
乞われながら仕官しなかったようです。
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