毛利空桑は熊本藩の幕末期の儒者で、
熊本藩領鶴崎で私塾[知来館]を開設し、
文武両道と尊皇論を唱えました。
その門弟は890人以上であったとされ、
遠方からもその意見を問う人が絶えず、
吉田松陰や斉藤監物も空桑を訪ねています。
「… 続きを読む
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大分県大分市 鶴崎湊跡
現在は埋め立てられて痕跡もありませんが、
熊本藩鶴崎御茶屋から北へ行くと、
入江を利用した鶴崎の湊がありました。
「肥後藩主参勤交代時船着場跡」碑。
新堀公園内にある跡碑。
熊本藩の御座船[波奈之丸]の発着地は、
この公園辺りだったとのこと。
熊本藩主は熊本城を出発して、
豊後(肥後)街道を通って鶴崎まで陸路を使い、
ここから船で豊後水道から瀬戸内海… 続きを読む
大分県大分市 鶴崎宿跡
慶長6年(1601)に熊本藩主加藤清正は、
瀬戸内海への航路確保の為に、
鶴崎を領地とすることを幕府に請願し、
豊後国大分郡、直入郡、海部郡が、
熊本藩の飛地となりました。
清正は熊本城… 続きを読む
熊本県熊本市 宮本武蔵墓所
剣豪宮本武蔵は晩年熊本藩に迎えられ、
熊本城東部に屋敷を与えられており、
その余生を過ごしています。
熊本藩初代藩主細川忠利は武蔵に対し、
破格の待遇を与えていたようで、
鷹狩りも許可されていたという。
2代藩主細川光尚も同様に接したとされ、
悠々自適な生活をしていたようですが、
やがて金峰山… 続きを読む
熊本県熊本市 小峯墓地
小峰墓地は熊本市中央区黒髪の市営墓地。
非常に草深いところであったとされ、
熊本城の鬼門(丑寅)にあたります。
かつては陸軍墓地があったようで、
西南戦争から大東亜戦争までの戦死者が、
ここに葬られていたという。
現在は墓地公園として整備されており、… 続きを読む
熊本藩熊本市 泰勝寺跡/伝宮本武蔵供養塔
泰勝寺跡にある四つ御廟より、
泰勝寺歴代住職の墓域に行けますが、
そこにある2代住職春山和尚の墓の隣に、
宮本武蔵の供養塔とされる塔があります。
「伝 宮本武蔵供養塔」。
宮本武蔵は二刀流(二天一流)で知られる剣豪… 続きを読む